2013/11/18

OECD訪問

先日パリに行って来ました。出張で。パリに行くのはこれで二度目ですが、前回は学会での発表が目的とはいえ、下の娘にまだ母乳をあげている頃だったので、下の娘と夫の母を連れて三人でパリに行き、私が学会に出席している間は夫の母に娘をみていてもらい、セッションの合間に授乳して、とかなりばたばたしていました。おかげで、パリ観光なんてほとんどできないままにノルウェーに戻ったものです。さて、今回はといいますと、主な目的は、パリのOECD本部でのミーティングです。OECDといえば、経済開発協力機構のことで、私も直接の関連はありませんでしたが、OECDからの統計などを引用させてもらうこともある国際機関です。

なぜOECDでミーティングなんていうことになったかといえば、大学院時代の同級生が最近OECDに移ったからです。フランス人の彼は大学院を卒業してからしばらくワシントンDCで働いていたのですが、最近一家で(同じくフランス人の奥さんと娘さんふたり)祖国に戻ってきたのです。そこに、同じく大学院時代の友人(世銀勤務)がミーティングをに来るというので、仕事の話をしつつ同窓会気分も味わえると、私も便乗することになったわけです。世銀の友人は仕事で実際重なる分野があるのでいいのですが、OECDの友人の方は、仕事では直接関連がないので、OECDの中で関連のある人とのミーティングをセットアップしてくれる、と言います。そして、私の「幸福度と労働市場に関する仕事をしている人と会いたい!」というリクエストに応えて、友人はいくつかミーティングをセットアップしてくれました。

OECDは、様々なレベルで様々な仕事をしていますが、私が特に興味があったのが「Better Life Initiative」という、よりよい暮らしを実現する上でのイニシアティブの展開です。その一部として、「よりよい暮らし指標(Better Life Index)」という、国内総生産や国民総生産のような経済成長の指標には必ずしも現れない、暮らしやすさのインデックスを作ったのです。(OECDのように何十カ国ものデータを処理して比較しなければならない場合、データが各国でばらばらに集められているような時には直接比較は難しいので、このよりよい暮らし指標はランキングにはなっていません。)その中にはワークライフバランスや男女格差など、私の興味のあるトピックも含まれているので、その仕事に関わっている人と会って話がきけるのは大変面白いと思ったのです。また、労働経済の分野でもこれらのトピックは扱われているので、そちらの分野の人にも是非話をききたいと思ったわけです。そして、前述の友人の紹介で、それらの方々とお会いできることとなりました。

さて、私の方でも、最近本格的にこの分野の研究を始めることにしました。分野としては専門外ですが、今まで消費者の心の中を探ってきた身ですし、一応、応用経済学者。応用する分野がちょっとくらい変わっても、経済学のプリンシプルは変わりません。念のため同僚の労働経済学者に共同研究をするということで了解も得て、準備万端。さっそく、ノルウェー人の幸福度について分析を始めた矢先だったので、このOECD訪問はまったくタイムリーでした。

さて、そういうわけで、パリでのミーティングに出向くことになったわけです。久しぶりに友人たちに会えるのと、OECDの訪問とで、この出張を大変楽しみにしていたのですが、その前に学会での発表が入っていたのと(幸いスタヴァンゲルでの学会だったので、少なくとも出張はしなくてすみましたが)二つ教えているクラスの期末試験がもうすぐであるのとで、もう目の回る忙しさの中、手ぶらでミーティングに行くのもはばかられるので、一応「私はこういう研究をしています」という話もできるように幸福度の研究をする時間もなんとかひねり出し、ばたばたとパリに旅立ったのでした。

そして、パリにのホテルにも無事到着し、翌朝スマートフォンのグーグルマップを頼りにOECDの本部に向かいました。近くのホテルを取ったので、徒歩15分ほどの距離でした。本部のビルにはでかでかとOECEと出ていたので、迷うこともなく一安心。しかし、さすがに警備は厳重で、入り口で荷物のチェックと金属探知機を通り、ビジターのバッジを貰い、友人を待ちます。そして現れたのは、ちゃんとスーツを着たまともな社会人。学生時代のカジュアルな格好しか覚えがないのと、自分の職場でスーツを着た人を見慣れていないので、ちょっと新鮮です。二重の自動扉を抜けて内部に入ると、なんだかオフィスというより、コンベンションセンターみたいです。実際、毎日のように様々な会議やらワークショップやらが催されているのだそう。そして、新しめなビルは、環境にやさしい様々なテクノロジーを駆使して10年だかかけて建てられたそうです。そして、地下通路を通って(多分)隣の建物に移って彼のオフィスへ。オフィスは普通でしたが、驚いたのはみんな留守でもオフィスのドアが開けっぱなしだったことでしょうか。それだけ安全だということなのか、そういうポリシーなのか。

ミーティングの合間に少し時間があったので、友人について会議のひとつに顔を出して来ました。その会議は、オランダの水の政策に関わる会議で、OECD各国の代表をはじめ、色々な機関やNGOの代表が、オランダの水政策に関しての意見を交換しています。日本からの代表の方も座っていました。このような会議が毎日いくつも行われているらしいOECD。国際機関って、こういうものなのでしょうか。

勝手にお邪魔した会議の様子。公用語は英語とフランス語。

2013/10/14

窓際に蘭の花

ノルウェー人のお宅にお邪魔すると必ずと言ってもいいほど見かけるのは、蘭の花。窓際にひとつと言わず、植木鉢がいくつも置いてあります。植木の蘭はものすごーく長持ちする上に、花が落ちてもまた咲いてくるので、一度買うとビックリするほど長持ちします。日当たりのよい窓際に置いてちゃんと水やりをすれば、普通に1年、長ければもっと持ちます。自分で買うこともありますが、人から贈られることも多いようで、引っ越した後の家族や友人の新居を訪れるときに蘭を贈ったり、また誕生日などのお祝い事にも贈られるようです。私も、初めて訪問するお宅には蘭を持っていくこともあります。また、どのお花屋さんでも、けっこうなスペースを蘭の鉢植えに割いてあります。

ウチの窓際にももちろん蘭の花が飾ってあります。
(ブラインドが閉まっているので分かりにくいかもしれませんが窓際です。)

日本人だってアメリカ人だってお花は好きですし、家にはグリーンの鉢植えが飾ってあったりしますが、こんなにたくさんの蘭の花を見た覚えは日本でもアメリカでもありません。なにしろ、どの家にも、例外なく、必ずひとつは蘭の鉢植えがあるのです。私がお邪魔したことのあるおうちだけでなく、例えば散歩のときに通りかかる道の脇の家々の窓にもたいてい蘭の花がおいてあります。最初はかなり不思議に思ったものですが、自分も蘭の鉢植えをいただいてみて、納得。蘭の花は綺麗で、見ていると気持ちが上がりますし、その優美なフォルムはモダンでシンプルなノルウェーのインテリアにマッチするだけでなく、白とかグレーとかのニュートラルトーンでまとめられがちな室内に明るい彩を添えます。そして、なにしろ手入れが簡単!私はグリーンハンドなどは持ち合わせておらず、どちらかというと、ちゃんと世話をせずに植物を殺してしまう方ですが(植物好きの方、すいません!)、蘭の花はそんな私にも寛容です。そして、馬鹿にできない生ゴミの量。花は他の食品ゴミと一緒に生ゴミ扱いですが、切花のブーケなどは、頻繁に花瓶の水をかえてもせいぜい一週間くらいしかもたない上に、枯れてしまった花を捨てるとけっこうかさばります。花を飾る、というロマンの世界の話なのに、ゴミの容量などという超現実的な理由を挙げるのもはばかられますが、ウチの地方自治体はゴミの収集が二週間に一度しかない上に、ゴミ箱の容量もそんなに大きくないので、けっこう切実な問題です。長持ちする蘭の鉢植えなら、切花に比べてゴミの量もうんと少なくて済みます。

2013/10/06

幸福って何?

「幸福って何?」なんだか青い鳥を探し求めているみたいですが、私は「幸福」とは何なのか、よく考えるのです。特にノルウェーに住んで、ノルウェーの不便さや物価の高さの裏には、ノルウェーなりの「幸福とは?」という問いへの答えがあるということに気付いてから、より幸福について考察するようになりました。

日本でも「幸福度」という言葉を耳にするようになりました。GDPなどに代表される経済成長を追い求めることが、必ずしも人を幸福にするとはかぎらないのではないか、という視点に立って、「幸福の向上」をひとつの指標にしていこう、という動きもあります。これは特に経済発展を成し遂げて、それなりの生活水準を手に入れた国の人たちが、「これからは、もっと量より質を重視した生活(クオリティー オブ ライフ)を送っていきたい」という気持ちのシフトが大きいかとも思いますが(ブータンは例外として)、ノルウェーはこの幸福度が先進国の中でも高いことで知られています。一方日本は先進国中でも幸福度が低い、という指摘がなされています。では、日本人は不幸なのか、といえば、「幸福度」とはそんなに簡単に比較できるものではないようです。「幸福」とは抽象的な概念であり、取り出して重さや長さを量れる類のものではありません。そして、まったく主観に基づいているため、傍から見てたいへん恵まれていると思っても本人は不幸である場合もあれば、反対に周りから見てどう考えても不幸だろう、というような人だって、本人は幸福であることだってあるわけです。また、そのときの気分にも左右されるので、日によって、または一日の中でも時間によって「幸福度」はくるくる変わったりします。

また、文化によっても幸福の捉え方はちがうようです。夏に日本に帰ったときにお会いした京都大学の研究者の方(幸福度の研究をされています)によると、日本人は、10点満点中、理想の幸福度は8点くらいなのだそう。日本人は、自分が10点満点幸福であると、例えばその後は下る一方であると怖くなったり、また、そこまで満足してしまうと、自分が驕ってしまったり、その後成長しなかったりする、という風に考える性質があるそうです。そうすると、10点満点中10点が理想と考える欧米人と比べて日本人の幸福度が低いのは単に文化的な違いによるところもあり、日本人がより不幸であるとは一概にはいえないことになります。

2013/09/23

統計のちから

夏に日本に帰っている間は新潟の実家にいるのであまり東京に行く機会はないのですが、京都に出張した帰りに、東京で久しぶりにシアトルの大学時代の友人に会いました。彼女は大学時代は建築を勉強していて、その後NYの建築事務所で働いたり、日本で建築の仕事をしたりしていたのですが、何年か前から東大の大学院で修士の勉強をしていました。東日本大震災のときには、ボランティアで現地に駆けつけ、その後も被災地に関する活動をしていたようです。そして、先日久しぶりに会ったときに、今はそのまま東大で博士課程に進んだのだ、ということを知りました。被災者と建築に関する研究をしているということで、今は論文のデータを集めたりしているようでした。その話をしたときの彼女の言葉が、私には大変印象的だったのです。

私は大学では経済学と統計学を学んだのですが、私にとって、統計学との出会いはある意味革新的でした。それまで、数学が大の苦手だと思って敬遠してきたのに、数学とも縁の深い統計学にハマってしまったのは大変な驚きであると同時に、統計学は私に新しい世界の見方を指し示してくれたのです。そして、統計学を勉強したことで、私は「データから情報を得る」という作業をその後もずっと続けることとなり、現在にいたっているわけです。私の仕事は大雑把にとらえれば、数字の羅列であるデータから、経済学的に興味のある事象を経済理論に基づいて分析し、数字の奥に隠れている、経済主体(消費者とか)の意思決定のメカニズムやその社会的な意味を探っていく、というものなのです。そういう意味で、統計は私にとっては大変に馴染み深いものとなりました。

そして、前述の、久しぶりに会った大学時代の友人は「ユウコが大学時代に統計を勉強していたとき、正直「なんでそんなもの勉強してるんだろう」って不思議に思ってたけど、今博士論文を書くにあたって、初めて統計の大切さがわかった」と言うのです。数学苦手のアート系だった彼女からそんな言葉を聞く日がくるなんて夢にも思わなかったので、私はひどく驚き、軽い感動すら覚えました。

2013/09/17

途切れ途切れですいません

気が付いたらもう9月も半ば。そして、振り返ってみれば、前回の更新は、あれ、5月!?

5月から今まで、いったい何をしていたかといえば、子供の夏休みとそれに伴うロジスティックス、そして新学期、と、なんだかあれよあれよという間に時間が過ぎていってしまいました。この夏はなにをしていたかといえば、子供の学校が6月半ばから8月半ばまでお休みなので、毎年のことですが、日本に一ヶ月ほど帰っていました。その間仕事も全部休み、というわけにもいかないので、仕事も日本に持ち帰り。授業はないので、研究関連や論文執筆、新学期のクラスの準備、などになりますが、別に大学のオフィスにいなければできない仕事、というわけではないのと、だいたいノルウェーでは7月なんて誰も職場にいないので、特に罪悪感を感じることもありません。夫はノルウェーに残っていたのですが、「今日もオフィスで誰にも会わなかった。」なんて言っていたくらいです。こんな調子なので、ノルウェーは社会全体が7月は仮死状態。仕事で誰かにメールを送ってなにかを頼んでも、すぐに返事が返ってくるなんて期待できません。役場だって、人が出払って少人数で対応しているので、なにかと時間がかかります。ノルウェーの人はもうこんな状態に慣れっこなので、「7月は物事が進展する期待をしない」という心構えがなっていますし、大事な事柄(バケーションに出る前にパスポートを申請しておくなど)は7月前に済ませておくわけです。

そうして、8月になるとぼちぼちと職場にも人が戻ってくるようですが、私たちは8月の頭から2週間トルコにバケーションに行っていたので、私はまるまる一ヵ月半オフィスからはなれていたことになります。私などは、日本から戻ってきた時点でちょこっとでも仕事をさせて!という気持ちだっだのですが、夫が「娘たちにとって、日本滞在はバケーションであると同時に学校に行ったり幼稚園に行ったりして、充分な休息であるとは言い難い、よって、家族で本当の意味でのバケーションに行く必要がある」と主張するので、なんだか半強制的にバケーションすることに。私はノートパソコン持参で、トルコのホテルでちょこちょこと遠慮がちに仕事をしていました。とはいえ、毎日飽きるほどプールで泳いだり、ビーチに行ったりして、全員すっかり日焼けしてノルウェーに帰って来ました。

2013/05/11

ガストロノミー体験

皆さんはガストロノミーという言葉をご存知でしょうか。ウィキペディアでは「美食学」と訳されていましたが、つまり食と文化についての学問、というかんじでしょうか。日本では、食と文化は切っても切れない深い関係があり、また、「食文化」というように、昔から「食」は、ただ食べることだけでなく、さまざまな分野の美術や芸術、土地や気候、そしてもちろん人々の生活にも関連し、非常に深い世界を形成しています。そして、日本人には、食とはそういったものである、という認識もあります。しかし、そういった認識はノルウェーではまだ新しいことのように思います。前にもノルウェー人の食に関する情熱の低さについて書いたかと思いますが、それはもう、ノルウェーのスーパーを訪れていただければすぐに分かります。野菜や果物、魚やお肉、スパイスやバーブなど、種類も鮮度も落ちた品物が並ぶことが多いです。しかし、ノルウェーでも食文化に対する興味が上がってきていて、私がノルウェーに引っ越してきた頃と比べても随分ましになってきたものです。

さて、私が働く大学では、私のほかにも食に関する研究をしている人たちがいます。また、食品会社や食の研究をするプライベートのラボなどもあって、食研究のクラスターを形成していますが、実はあまり交流がありませんでした。最近になって、せっかく近くで仕事をしているのだから、もう少し交流の機会を持ったりコラボレーションしたりしていこう、という空気になり、前よりは活発に交流するようになったようです。その中でも、アカデミック寄りの研究者(食関連の研究をしている大学の研究者)で「フードマーケットリサーチグループ」を形成しているのですが、先日そのグループの親睦ディナーがあったのです。

そのディナーというのが、大学の近くにあるガストロノミックインスティテュートであったのです。ガストロノミックインスティテュートは、つまりガストロノミーを研究する機関です。日本でいう料理専門学校に美食倶楽部のエッセンスが加わったかんじ、とでも言いましょうか。そこで、プロのシェフに料理を教わりながら自分たちでディナーを作る、という趣向でした。ノルウェーは一般人の食文化への情熱は薄いようですが、その一方で、トップでは世界レベルのシェフを輩出しています。私たちに料理を教えてくれたシェフも、昨年のシェフのオリンピックで銀メダルを取ったナショナルチームのメンバーでした。そんなシェフたちが教えてくれる料理は、おいしくて簡単で自分でも自宅で作れる、なんていうものでは全然なく、高級レストランで食べるような、複雑で下ごしらえに何時間もかかるようなコース。一応レシピも最後にもらいましたが、3品のコースで10ページ以上あるような文書。多分自分では作らない(作れない)だろう、と全員が思ったわけですが、そんな自分では絶対つくらないようなデリケートな料理をプロのシェフが一緒に作ってくれる、というのも面白いものです。

ラムの背中の肉を骨から離しています。

2013/05/02

幸福になりたい?

先日出張の帰りにフランクフルトの空港の本屋さんでたまたま買った本は、The End of Men というセンセーショナルなタイトルで、いかに女性の社会進出が進み、それだけでなく、今では男性を凌駕する勢いで、家庭においてメインのブレッドウイナー(パンを勝ち取ってくる人、つまり稼ぎ頭)になっている、というようなことが書いてあります。一体どこの国でそのようなことが起こっているのか、と興味を持って買ったのですが(アメリカの本でした)、いまいち説得力に欠ける内容で、結局最初の2章だけ読んでやめてしまいました。でも、その中でも「ほう」と思ったのは、 高学歴・高収入のカップルの方が自分の結婚に対して満足度が高いという統計がある、ということでした。これは、単に高学歴・高収入のカップルの方が経済的に安定している、ということももちろん関係していると思いますが、話の要点は働き方の違いにありました。高学歴・高収入のキャリアカップルは、稼げる方が稼ぐ、そして相方はそれをできるだけサポートする、そして、どちらが「稼げる方」かは、流動的なのです。例えば、夫が大学院生である間妻が働いて家計を支え、夫が学業を終えて働き始めたら、今度は妻が、お金にはなりにくいけれどやりがいのある仕事につくとか。そうやって、シーソーのように、稼ぎ頭の役を妻と夫が交代でこなしながらサポートし合う結婚をシーソーマリッジというらしいですが、高学歴・高収入のカップルの方が、そういった柔軟性がある、または対応する余地がある、ということでしょうか。

そう思って周りを見渡せば、少なくとも私の周りでは、シーソーするのが普通、というかんじ。上の例のような幅の大きいシーソーもあると思いますが、日常生活がもう幅の少ないシーソーの繰り返し。子供の諸所の送り迎え(学校やら習い事やら友達の家やらパーティーやら)はその代表でしょう。朝はパパが送ってきて、帰りはママがお迎え、またはその反対、などはよくあるパターンです。また、子供が病気のときなども、仕事を休むのは、休める方。子供だけでなく、例えば今日は水道局の人が来るから家にいないといけない、などの所用も、同じようにシーソーで切り抜けます。これは別に特別ではなく、妻も夫も働いていたら、そうしないとやっていけない、ということのように思います。

2013/04/28

博士過程学生という職業

やけにブログが滞りがちなこのごろですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はというと、なかなかブログに向かう余裕がないのが実情ですが、理由のひとつには、博士課程の学生のセレクションのコミティー(委員会?)に参加するよう頼まれてしまったからです。

ノルウェーの博士課程はアメリカとは随分ちがう、という話は前にも書いたかもしれません。アメリカの大学院は、基本的に学生がお金(授業料)を払って通うものです。もちろん、様々な奨学金やアシスタントの仕事がありますが、つまりは何かしらの手段で働くなりしてお金を稼ぎながら授業料を納めます。私は州立大学に通う外国人だったので、何年州内に暮らしても州外者のステータスは変わらないまま(アメリカ人だと、一年その州に住めば州内者とみなされる)せっせと州外者の授業料を払っていましたっけ(州内者の3倍だったかな)。とはいえ、入ってくる学生の数は多く、最初の2年間は毎学期3クラスずつくらい授業を取ります。ひとつのクラスに少なくとも10人、多ければ50人ほどの学生がいたものです。しかし、最初の年が終わる頃、ミクロやマクロ、計量経済などの基本分野でプレリミナリーイグザムというテストが課されます。これは、通すことより落とすことが目的のテストであり、このテストに受からなかった場合は退学です。このテストは全部の科目で合格しなければならないわけですが、ひとつでも受かった場合は、他がだめでも、修士の学位が与えられるようです。

大学院では、もう死に物狂いで勉強したものです。休日も祝日も関係ありません。とにかく、学期中は勉強と、アシスタントの仕事でもういっぱい、いっぱいでした。独身で、子供もいない自由な身分であったので、どんなに勉強しようが特に問題はなく、ボーイフレンドはクラスメートだったので(今の夫ですけど)、二人で毎日、近くのカフェで勉強したものです。結婚している人や子持ちの人もぼちぼちいましたが、パートナーが学生でない場合は、オフなしの大学院生の特殊な環境は理解し難く、授業と宿題とパートナーと子供の狭間でか・な・り・大変そうだったのを覚えています。

2013/04/08

公共助け合い精神

ノルウェーで耳にする言葉にDugnadというものがあります。英語だとボランティアと訳されていましたが、つまりは個人がコミュニティーのために労働する、というのが一般的な解釈であるかと思います。日本でいえば、例えば町内会で川原の草取りやごみひろいをする、とかがノルウェーではDugnadとよばれるのではないでしょうか。しかし、このDugnadはどうやらもっと広い意味でも使われているようです。

例えば、私の職場には、みんなでランチを食べたり、コーヒーを飲みながら、だべったりする用のちょっとしたエリアがあります。そこには小さいキッチンもついていて、さすがに料理用のコンロなどはありませんが、コーヒーマシーンや電子レンジ、冷蔵庫もついています。また、食器もいろいろ揃っていて、コーヒーマグやエスプレッソ用のカップ、グラス、お皿などがキャビネットに収まり(食器がFiggyo製なのはやっぱりノルウェーです)、引き出しには沢山のカトラリーも入っています。ノルウェー人は一日に何杯もコーヒーを飲むので、毎日沢山のコーヒーマグが使われます。これらの使われた食器は、各自が食洗機に入れます。さて、このエリアはもちろんみんなで使う公共の場であるわけで、その分明確に誰かの責任下にあるわけではありません。そうすると、誰がいっぱいになった食洗機に洗剤を放り込んで始動させるのか。誰がきれいになった食器をキャビネットに戻すのか。誰がキッチンカウンターにこぼれている砂糖をきれいにするのか。これらは、Dugnadの精神の基づいて、ボランティアベースで気付いた人がすることになっています。偉い人はしない、などどいうことは起こりません。ノルウェー人はDugnadの前には全員平等であると信じているからです。私は学部長自ら、きれいになった食器を黙々と棚に戻すのを目撃しています。しかも何度も。そして、白状すると、私はまだ一回もやってません!


別の例をあげると、レンタルのキャビン。これもDugnadの精神に基づいていて、使った後キャビンをきれいにするのは使った人ということになっています。キャビンには必要最低限のものは揃っていますが、やはりスーパーに日用品を買出しに行かないといけません。そして、洗剤やキャンドルやトイレットペーパーなど、余ってしまった物はそのままキャビンに残して行きます。そうして、次の人に使ってもらうのです。自分たちも同じように、そうやって前の人が残していってくれた物の恩恵に与っているのです。

2013/03/07

人生の分岐点

先日、アメリカ人の博士課程の学生とお茶しました。彼女はアメリカの大学でイノベーションについて勉強しているのですが、フルブライト奨学金で今スタヴァンゲル大学のに留学中なのです。来月とうとう博士ディフェンスということで、今博士論文を完成させるのに大忙し。ということは、もちろん同時進行で職探しもしなければならないわけです。そんな彼女から、今後の進路を決める参考にしたいので、あなたの経験についてきかせて欲しい、と言われて、まあ、私の経験で役に立つのなら、と一緒にお茶をすることにしました。彼女はノルウェー系アメリカ人で、ノルウェーに親戚もたくさんいるほどノルウェーとの結びつきは強く、またノルウェーでの暮らしも大変気に入っているようです。

優秀な彼女は、アメリカのコーネル大学からほぼ内定をもらっているのだそうですが、少なくとも始めの半年は講師扱い、つまりテニュアトラック(なぜノルウェーに住んでいるんですか?参照)ではない、そしてそのテニュアトラックに移れる保証はない、という、少しリスキーなオファーであるようです。しかし、今後のキャリアを構築していく上で、名門大学の肩書きは魅力的です。また、名門大学の肩書きがもたらすチャンスやネットーワークの可能性も見逃せません。彼女もその点はしっかり考えているようで、何年コーネルにいることになるかはわからないけれど、そこにいる間にコーネルの名前を使ってできることをできるだけする、という計画のようです。私が、「このチャンスを短期の投資と思って今後の土台作りに専念するかたわら、長期の展望も練っておくのがいいんじゃないの?」と言ったらずいぶん納得していたようでした。

彼女は30歳。微妙な年頃ですが、現在とくにボーイフレンドもいないそうで、そういう意味では機動性には問題ないようですし、短期の投資をするにはちょうど良い機会なのかもしれません。しかし、同時に、名門大学のテニュアへの道はたいへん厳しいと想像します。ということは、もしテニュアトラックへの道が開けたら、その後の5年間は馬車馬のように働くことを意味します。彼女もそれは承知の上です。そして、彼女はできればライフ・ワークバランスの取れた生活を送りたいとも思っていて、長期的にはノルウェーの大学の戻って来たいそうです。その意味でも、コーネルの名前が彼女の履歴書にハクを付けてくれるはずですし、コーネル時代に培うネットワークは、たとえノルウェーに移っても役立つでしょう。つまり、短期の投資と長期の展望。コーネルにいる間は多少ライフ・ワークバランスが崩れることはあるかもしれませんが、短期間と思って割り切れば乗り切れるのではないでしょうか。そして、ノルウェーに移るのが長期の目的であるならば、ノルウェーの大学の求人情報などに目を光らせておけば、移り時も分かります。もしコーネルが気に入って留まりたいと思えば、それも可能です。そういう意味で、フレキシブルな計画です。

2013/02/17

仕事と育休と移民女性

ちょっと前に日本人の集まりで、スタヴァンゲルに越してきたばかりの若い女性にお会いしました。彼女は今妊娠7ヶ月。初めての出産を外国で、という勇気ある女性でしたが、やはり引越直後は大変だったようです。前にも書きましたが、ノルウェーに居住する人はみんな自分の社会保障番号を持っています(ノルウェーの共通番号制度)。ノルウェーに引っ越してきたら、とにかくこの番号を取ってしまわないと、いろいろ不都合がでてきますが、番号をもらう手続きもめんどくさく、私も何度も窓口に出向いたのを覚えています。妊娠中となると、毎月検診にかかるわけですが、これも、社会保障番号がないと大変です。ノルウェーでは、みんなファストレゲとよばれる、かかりつけのジェネラルドクターを持っています。これも、社会保障番号をもらってから、自分の住む地区でまだ患者を取る余裕のある医者を政府のウェブサイトで検索して見つけるのです。妊娠したかな、と思ったら、普通はこのファストレゲに検診してもらい、その後お産婆さん(ミッドワイフ、ノルウェー語ではヨードモー)や必要とあれば産婦人科の専門医に診てもらいます。しかし、これは妊婦に限らず、ノルウェーではまずファストレゲに診てもらって、必要に応じてファストレゲが専門医に紹介状を送る、というふうになっているので、ファストレゲがすべての医療の窓口となります。なので、ファストレゲがいないと、誰にも診てもらえない、という状態になってしまうのです。しかし、ファストレゲを得るには、社会保障番号を持っていないといけません。反対に、社会保障番号さえ持っていれば、なんでもかなりスムーズに進みます。

前述の女性も、やはり始めは色々苦労があったようですが、自分も同じような境遇であったことを思えば、「やっぱりね」というノルウェーの制度に対するあきらめを感じこそすれ、驚きはしません。しかし、彼女と話していて私がびっくりしたのは、奥さんが働いていない場合、旦那さんは育休が取れない、ときいたからです。ノルウェーの寛容な産休・育休制度につても前に書きましたし、私も夫もこの制度で日本では考えられないような長い有給の育休を取ったのです。しかも、パパクオータと呼ばれるパパの割り当ては増える一方で、今では10ヶ月から一年の産休・育休のうち、最低12週間はパパが取ることになっているのです。これも、子供には父親の育児の参加が不可欠であるという理念に基づいた政府の方針によるものです。それなのに、母親が働いていない場合は育休がとれない、とはどういうことでしょうか。父親の育児参加は母親の職の有無に関わらずに大切なのでは?

納得のいかない私は夫や周りの人にその制度についてきいたのですが、どうやらそれは本当のようです。しかし、自分や同僚など、私の周りは働いている人がほとんどだったため、今まで知らずにいました。しかし、この制度は父親の育児参加の奨励という政策との一貫性に欠けるのでは、という私の疑問については、他の政策との関連が指摘されました。すなわち、女性の労働市場参加の促進です。この、母親が働いていない場合父親の育休ナシ、という制度は、母親が働いていない家庭にとっては、明らかに損な制度です。つまり、女性は働いていた方がこの場合トクなのです。女性が労働市場に参加することに対するインセンティブが働くわけです。ただでさえ物価が高く、住宅はさらに高いノルウェー。共働きでもないとやっていけない、というのが実情だとしても、実際に共働きが当たり前。育休制度でも共働きの方が明らかに優遇されているようです。比較的緩めの労働環境も加わって、共働き、というか、女性が労働市場に参加したくなるように社会全体が動いている感じです。

2013/02/11

ノルウェーのキャビンでスキー休暇

今週娘たちの学校が冬休みなので、スキーバケーションに来ています。やって来たのはヴァルドレス地方のファルガネスの近くのキャビン。オスロから北の方に二時間半ほど行ったところです。なぜスタヴァンゲルから車で8時間もかけてここまで来たのか。ひとつには友人夫婦と一緒に来たからです。彼らは去年も同じキャビンをレンタルしたそうですが、大変気に入ったのでまた行きたい、と言います。もうひとつには、値段。スタヴァンゲル一帯はみんな学校が冬休みなので、キャビンを持っている人はいいとして、私たちのようにキャビンを所有していない人はレンタルしなければいけないわけですが、ピークシーズンということでたいへん値段が高いのです。ファルガネスは、オスロに住む人たちがスキーに訪れる場所ですが、オスロとは冬休みの時期がずれているので、こっちならオフピークの値段でキャビンが借りられます。私たちが借りているキャビンも、ピーク時には値段が4倍以上にも跳ね上がるそうな。

そういうわけで、一日かけて荷物でいっぱいの車を運転して、こんな遠くまでやってきたわけですが、娘たちは日本に帰ったりして長旅に慣れているので、移動は特に問題なくスムーズにいきました。ただ、途中休み休み来たので、朝の8時に出発して、到着したのは夜の7時。やはり長旅でした。しかも、私たちのバケーションはスペインなど南に行くことが多いので、今回のように、長旅の後に辿り着くのが、暖かいビーチではなく雪深い山奥なのはいつもと随分違います。また、泊まる所も、リゾートホテルではなく、ノルウェーの山小屋。

ノルウェーの山小屋というのは、基本的に質素なものです。最近は、よりラグジョリアスなキャビンが増えてきたとはいえ、基本はシンプルなのです。友人夫婦にも、「キャビンはすごくシンプルなものだから」と、忠告を受けていました。それでも、暖かいお湯もでるし、トイレも家の中にあるし、車も家の前に止めれられるし、ずいぶん快適であるといいます。では、そうでないキャビンもあるのかといえば、あるのです。私の同僚の一人は、山奥の小島に彼の家族が代々所有するキャビンを持っているそうですが、冬は行かないそうです。昔に建てられたキャビンは、ちゃんと防寒層(?)を入れた壁ではなく、もちろん窓も一重なので、そこでは寒くて冬は過ごせないそうです。また、シャワーもなく、夏ならば近くの川や湖で行水するのですが、さすがに冬ではそうもいなかいと。さらに、島にはちゃんとした下水道が通っていないので、家の外に建っているトイレも水洗とはいきません。「シンプル」と言えは聞こえはいいかもしれませんが、こうなるともう現代人が我慢できる限界を超えてしまった感じです。彼も、「僕の先祖はそうやって暮らしていたのだけれど、今の僕たちにはとても無理だよ。」と言っていました。

レンタルしたキャビン。

2013/01/31

お誕生パーティー

子供のいるみなさんは、子供の誕生パーティー、どうされてますか?考えてみたら、子供を持ってから日本で子供の誕生会に呼ばれた記憶がないので、日本の誕生会事情がどんなものなのか知らないのですが、どこでするか、誰を招待するか、など、いろいろ頭が痛いのは同じなのでしょうか。

我が家でも先日上の娘の7歳の誕生会を行いました。誕生日は平日だったので、その週末に誕生会を開くことにして、土曜日に親戚・家族で、日曜日にお友達をよんで、と2度パーティーです。家族でのパーティーはもちろん自宅ですが、お友達をよんでのパーティーは、近くのプレイランド、というのか、巨大な屋内の遊び場施設で行いました。なにしろ、クラス全員招待してあるので、全員来たら21人。とても自宅では無理です。

この、クラス全員招待、というのも、随分検討を重ねた末の結論です。親友二人はまず招待するにして、そのほかの子供たちのうち、誰を招待するのか。他に2,3人女の子を招待するのならばもちろん自宅でしますが、この2,3人を選ぶのが随分難しかったのです。あの子も、この子も、と思えばどんどん数が増えていきます。そして、お誕生会によんでもらった子は、やはり自分の誕生日にも招待したいのは当然です。また、7歳ともなると、誰が誰の誕生会に行くのか、という情報は子供たちの間で伝達される模様。そうして、へんに仲間はずれにされてしまう子供がいたら困るし、などど考えると、結局「もう、全員招待してしまえ」ということになりました。

2013/01/24

ノルウェー冬の大気汚染!

先日ノルウェー人の「外に出る」及び「新鮮な空気」オブセッションについて書いたばかりだというのに、なんとしたことか、あまり外に出られない状況になってしまいました。なぜかというと、大気汚染がひどいためです。ノルウェーといえば、「美しい自然」というイメージで、公害や大気汚染とは程遠いように思われるかもしれませんが、ノルウェー人とて仙人のような暮らしをしているわけではなく、車も運転すればゴミも出します。しかし、今問題になっている大気汚染はノルウェーの冬の気圧配置の影響によるもののようです。というのは、ここのところ冷え込んで、海岸性気候で普段あまり寒くならないスタヴァンゲルでも毎日マイナス10度などという日々が続いているのですが、このように寒くなると、どうやら大気が動かなくなってしまうらしいのです。ちょうどポケットのように空気がこもってしまい、動かなくなるのだとか。そうすると、大気の汚染物質も動かないでこもってしまい、大気汚染がひどくなるわけです。私ももう4年以上ノルウェーに住んでいますが、こんなにひどい大気汚染は初めてです。どんなにひどいかというと、スモッグが目に見えるほどひどく、LA並みです。どうやら一番ひどいのはベルゲンのようですが、スタヴァンゲルでも地区によっては、喘息のある人や子供はあまり外にでないように、との警告が出されたそうです。

この、冬特有の大気汚染をさらにひどくしていることがふたつあります。ひとつは、ディーゼルで走る車が沢山あること。これは皮肉にも、ノルウェーの政府がディーゼルエンジンの車の方が燃費がよく、より環境に良い、と奨励したこともあって定着したのですが、最近になって、ディーゼルエンジンの方が二酸化炭素の排出は低くてもその他の汚染物質は沢山出る、というのが分かったのだとか。環境によかれ、と思ってしたことが、違ったところで裏目に出てしまったようです。

2013/01/16

冬でも外へ!

ノルウェー人のアウトドアオブセッションについては前にも書いたと思いますが、とにかくノルウェーの人は外に出るのが好きです。新鮮な空気を吸わなくては!と、毎日散歩に行ったりしますが、特に天気が良かったりすると、「またいつこのような天気に恵まれるか分からない!」とばかり、とにかく外に。夏もそうですが、それは冬でも変わりません。特に冬に人気なのがクロスカントリースキー。そうそう、地面を歩くタイプのスキーです。

ところで、私はクロスカントリースキーがあまり好きではありません。だいたい、日本ではクロカン(クロスカントリースキーのこと)などやったことある人の方が少ないかと思いますが、私はなにしろ雪国出身。冬季の体育の授業がスキーになる地域で生まれ育ったのです。そして、小学校のスキー授業はクロカン。しかも、私は水泳部に所属していたのですが、冬はプールに入れないので、水泳部は冬になると全員クロカン部に(強制的に)入部。でも、トレーニングなので、基本的に毎日ひたすら校庭をぐるぐる。つまんないって。スキー遠足というのもありました。クロカンのスキーをはいて、近くの山に遠足するのです。吹雪だろうとなんだろうと決行。一度すごい吹雪の年があって、本当に死ぬかと思ったこともあります。とにかく、私にとってのクロカンは「つらい」とか「苦しい」とか「寒い」とかいった思い出しか残っていません。こうなると、子供に厳しいトレーニングをやらせるのも考え物です。やりすぎると、私のように、そのアクティビィティーが嫌いになってしまうことも。

とにかく、そういうわけで、自分からあえてクロカンしたいなどとは露ほども思わない私ですが、ノルウェーにいるとなんだかクロカンしないといけないような気にさせられます。なんというか、クロカンへの心理的な垣根が低いといいましょうか。車にクロカンスキーを積んで、ちょっとそこまでスキーをしに、みたいな感じ。ダウンヒルではこうはいきません。装備ももっと重いし、なにしろスキー場に行かないといけませんが、クロカンだったら散歩感覚です(とはいえ、スタヴァンゲルはそんなに雪が降らないので、スキーをするには1,2時間のドライブが必要なことも多く、そこまでフットワークは軽くはないかもしれませんが)。その証拠に、沢山の人がクロカンのスキーを所有しています。山小屋に行っても、冬ならダウンヒルだけでなく、クロカンのスキーも楽しむことでしょう。

2013/01/09

ベビーカー対おんぶ

今は子供も大きくなって、ベビーカーを押したり、オムツを交換したりすることもなくなり、本当に楽になったな~、と感じます。昔と比べると、出かけるときの荷物の量が全然違います。昔は、ベビーカーはもちろんのこと、おむつバッグ(ちゃんと補充してあるのを確認!)には泣き出したときのためのおもちゃやら、スナックやら、飲み物やら、ベビーフードやら、げっぷ用の布やら、寒くなった時用の服やらが入り、さらに街歩き用にベビービョルン(抱っこ用)も持って、もう出かける前に疲れちゃうような装備でした。確かに今でも、出掛けというのはそんなにすんなりいくものではなく、出掛ける、というときになって子供たちは、お人形を持っていくとか、おなかがすいたとか、こっちの靴がいいとか、タイツはくのイヤとか、もっとテレビ見る、とかいろいろ言い出すので、その子供たちをなだめすかしたり、どなりつけたりしてなんとか時間通りに家を出るのはチャレンジではあります。それでも、やはり前よりは楽だと思うのです。

大きな理由のひとつは、やはりベビーカーです。どんなに改良されて軽くなったりしても、どうしたってそれなりに大きくなくてはならないわけで、車の乗り降りの度に閉じたり開いたりして面倒くさく、お店の中や建物の中では大変に邪魔っけ。かといって、ないととても困る。それでも、私はアメリカやノルウェーという比較的広い場所で子育てしてきたのと、普段車なので公共の交通機関にほとんど乗ることがない、という点でまだ楽だったのではないかと思います。それは、日本に帰郷中に東京などに滞在した際、あまりの大変さに愕然としたからです。まず、駅全部にエレベーターがついているわけではなく、あってもすごく歩かないといけないところしかなかったり、込んでいて乗れなかったりして、かなり不便でした。また、階段を使うにも、ベビーカーを持って荷物を持って子供も持って、となると、もう限界寸前です。だから日本ではおんぶしているママも多いのでしょうか。

ところで、ノルウェーでもアメリカでも、抱っこ紐(ベビービョルンなど)はあっても、おんぶ紐、というのは見た事がありません。場所があるからなのか、赤ちゃんは基本的にベビーカーに収まっていて、だいたい抱っこ紐を使うのはあまり見かけませんが、いたとしたらそれは前中心で、あってもスリングで脇にかかえている、とか。確かに、おんぶすると、両手が使えるから楽ですし、また、例えばレストランなどで子供がぐずったとき、ベビービョルンなどで前抱っこしながら食事をしようとすると、赤ちゃんの頭に食べ物がこぼれてしまわないように注意を払う必要がありますが、だっこだったらそんな気遣いは無用でしょう(でも、背もたれによりかかれませんが)。ノルウェーでもアメリカでも、ぐずった子供を片手で抱っこしながら食事の支度をしたりする光景を見かけますが、それだと片手しか使えないし、子供の体重を片手で支えないといけないので疲れます。それでもおんぶ紐でおんぶしないのは、なぜなのでしょうか。

2013/01/01

クリスマス休暇終わり!

明けましておめでとうございます。忙しくて途切れがちなブログですが、今年もどうぞよろしくお願い致します!

日本ではやはりお正月がメインのこの時期かと思われますが、ノルウェーではお正月はあっさりしていて、大晦日に花火を打ち上げて盛大にパーティーをして、元旦に休んだらもう二日からは普通に仕事に行く人も多いようです。とはいえ、うちの子供の学校は今週いっぱいお休みなので、私たちは、たまった仕事を片付けるため、子供の通う学校で共働き夫婦のために有料で運営されているチャイルドケア(託児所みたいな感じでしょうか)に子供たちを預けて明日から仕事です。冬休み中にも仕事をする、という予定はまったく実行されずじまいでした。なぜなら、お正月はあっさりしていても、本命のクリスマスがあったからです。

子供たちにとっては「あーあ、もう終わっちゃった」と思われるクリスマスですが、大人たちは「やっと終わった」とほっと一息ついているところではないでしょうか。ノルウェー人はキリスト教国ということもあり、クリスマスは盛大です。ノルウェー人はクリスマス一ヶ月も前から準備に取り掛かります。家はクリスマス用に飾り立てられ、クリスマス用のクッキーをせっせと作ります。クリスマスのディナーに何を食べるかも決めないといけません。とはいえ、ノルウェー人のキリスト教に対する感覚はちょっと日本人の仏教に対する感覚に似ているようにも感じます。もちろん個人差はありますが、私の周りはあまり信心深い人はいないので、特にクリスマスに教会に行ったりもせず、単に大きなイベントとしてとらえられているように思います。日本では恋人同士で過ごすクリスマスも、欧米ではもっぱら家族で過ごすもので、反対に新年は友達や恋人と派手に祝う、という、日本とは逆の過ごし方です。しかし、日本同様、いえ、日本以上に、ノルウェーのクリスマスは商業化されています。