2013/05/11

ガストロノミー体験

皆さんはガストロノミーという言葉をご存知でしょうか。ウィキペディアでは「美食学」と訳されていましたが、つまり食と文化についての学問、というかんじでしょうか。日本では、食と文化は切っても切れない深い関係があり、また、「食文化」というように、昔から「食」は、ただ食べることだけでなく、さまざまな分野の美術や芸術、土地や気候、そしてもちろん人々の生活にも関連し、非常に深い世界を形成しています。そして、日本人には、食とはそういったものである、という認識もあります。しかし、そういった認識はノルウェーではまだ新しいことのように思います。前にもノルウェー人の食に関する情熱の低さについて書いたかと思いますが、それはもう、ノルウェーのスーパーを訪れていただければすぐに分かります。野菜や果物、魚やお肉、スパイスやバーブなど、種類も鮮度も落ちた品物が並ぶことが多いです。しかし、ノルウェーでも食文化に対する興味が上がってきていて、私がノルウェーに引っ越してきた頃と比べても随分ましになってきたものです。

さて、私が働く大学では、私のほかにも食に関する研究をしている人たちがいます。また、食品会社や食の研究をするプライベートのラボなどもあって、食研究のクラスターを形成していますが、実はあまり交流がありませんでした。最近になって、せっかく近くで仕事をしているのだから、もう少し交流の機会を持ったりコラボレーションしたりしていこう、という空気になり、前よりは活発に交流するようになったようです。その中でも、アカデミック寄りの研究者(食関連の研究をしている大学の研究者)で「フードマーケットリサーチグループ」を形成しているのですが、先日そのグループの親睦ディナーがあったのです。

そのディナーというのが、大学の近くにあるガストロノミックインスティテュートであったのです。ガストロノミックインスティテュートは、つまりガストロノミーを研究する機関です。日本でいう料理専門学校に美食倶楽部のエッセンスが加わったかんじ、とでも言いましょうか。そこで、プロのシェフに料理を教わりながら自分たちでディナーを作る、という趣向でした。ノルウェーは一般人の食文化への情熱は薄いようですが、その一方で、トップでは世界レベルのシェフを輩出しています。私たちに料理を教えてくれたシェフも、昨年のシェフのオリンピックで銀メダルを取ったナショナルチームのメンバーでした。そんなシェフたちが教えてくれる料理は、おいしくて簡単で自分でも自宅で作れる、なんていうものでは全然なく、高級レストランで食べるような、複雑で下ごしらえに何時間もかかるようなコース。一応レシピも最後にもらいましたが、3品のコースで10ページ以上あるような文書。多分自分では作らない(作れない)だろう、と全員が思ったわけですが、そんな自分では絶対つくらないようなデリケートな料理をプロのシェフが一緒に作ってくれる、というのも面白いものです。

ラムの背中の肉を骨から離しています。

2013/05/02

幸福になりたい?

先日出張の帰りにフランクフルトの空港の本屋さんでたまたま買った本は、The End of Men というセンセーショナルなタイトルで、いかに女性の社会進出が進み、それだけでなく、今では男性を凌駕する勢いで、家庭においてメインのブレッドウイナー(パンを勝ち取ってくる人、つまり稼ぎ頭)になっている、というようなことが書いてあります。一体どこの国でそのようなことが起こっているのか、と興味を持って買ったのですが(アメリカの本でした)、いまいち説得力に欠ける内容で、結局最初の2章だけ読んでやめてしまいました。でも、その中でも「ほう」と思ったのは、 高学歴・高収入のカップルの方が自分の結婚に対して満足度が高いという統計がある、ということでした。これは、単に高学歴・高収入のカップルの方が経済的に安定している、ということももちろん関係していると思いますが、話の要点は働き方の違いにありました。高学歴・高収入のキャリアカップルは、稼げる方が稼ぐ、そして相方はそれをできるだけサポートする、そして、どちらが「稼げる方」かは、流動的なのです。例えば、夫が大学院生である間妻が働いて家計を支え、夫が学業を終えて働き始めたら、今度は妻が、お金にはなりにくいけれどやりがいのある仕事につくとか。そうやって、シーソーのように、稼ぎ頭の役を妻と夫が交代でこなしながらサポートし合う結婚をシーソーマリッジというらしいですが、高学歴・高収入のカップルの方が、そういった柔軟性がある、または対応する余地がある、ということでしょうか。

そう思って周りを見渡せば、少なくとも私の周りでは、シーソーするのが普通、というかんじ。上の例のような幅の大きいシーソーもあると思いますが、日常生活がもう幅の少ないシーソーの繰り返し。子供の諸所の送り迎え(学校やら習い事やら友達の家やらパーティーやら)はその代表でしょう。朝はパパが送ってきて、帰りはママがお迎え、またはその反対、などはよくあるパターンです。また、子供が病気のときなども、仕事を休むのは、休める方。子供だけでなく、例えば今日は水道局の人が来るから家にいないといけない、などの所用も、同じようにシーソーで切り抜けます。これは別に特別ではなく、妻も夫も働いていたら、そうしないとやっていけない、ということのように思います。