2013/10/14

窓際に蘭の花

ノルウェー人のお宅にお邪魔すると必ずと言ってもいいほど見かけるのは、蘭の花。窓際にひとつと言わず、植木鉢がいくつも置いてあります。植木の蘭はものすごーく長持ちする上に、花が落ちてもまた咲いてくるので、一度買うとビックリするほど長持ちします。日当たりのよい窓際に置いてちゃんと水やりをすれば、普通に1年、長ければもっと持ちます。自分で買うこともありますが、人から贈られることも多いようで、引っ越した後の家族や友人の新居を訪れるときに蘭を贈ったり、また誕生日などのお祝い事にも贈られるようです。私も、初めて訪問するお宅には蘭を持っていくこともあります。また、どのお花屋さんでも、けっこうなスペースを蘭の鉢植えに割いてあります。

ウチの窓際にももちろん蘭の花が飾ってあります。
(ブラインドが閉まっているので分かりにくいかもしれませんが窓際です。)

日本人だってアメリカ人だってお花は好きですし、家にはグリーンの鉢植えが飾ってあったりしますが、こんなにたくさんの蘭の花を見た覚えは日本でもアメリカでもありません。なにしろ、どの家にも、例外なく、必ずひとつは蘭の鉢植えがあるのです。私がお邪魔したことのあるおうちだけでなく、例えば散歩のときに通りかかる道の脇の家々の窓にもたいてい蘭の花がおいてあります。最初はかなり不思議に思ったものですが、自分も蘭の鉢植えをいただいてみて、納得。蘭の花は綺麗で、見ていると気持ちが上がりますし、その優美なフォルムはモダンでシンプルなノルウェーのインテリアにマッチするだけでなく、白とかグレーとかのニュートラルトーンでまとめられがちな室内に明るい彩を添えます。そして、なにしろ手入れが簡単!私はグリーンハンドなどは持ち合わせておらず、どちらかというと、ちゃんと世話をせずに植物を殺してしまう方ですが(植物好きの方、すいません!)、蘭の花はそんな私にも寛容です。そして、馬鹿にできない生ゴミの量。花は他の食品ゴミと一緒に生ゴミ扱いですが、切花のブーケなどは、頻繁に花瓶の水をかえてもせいぜい一週間くらいしかもたない上に、枯れてしまった花を捨てるとけっこうかさばります。花を飾る、というロマンの世界の話なのに、ゴミの容量などという超現実的な理由を挙げるのもはばかられますが、ウチの地方自治体はゴミの収集が二週間に一度しかない上に、ゴミ箱の容量もそんなに大きくないので、けっこう切実な問題です。長持ちする蘭の鉢植えなら、切花に比べてゴミの量もうんと少なくて済みます。

2013/10/06

幸福って何?

「幸福って何?」なんだか青い鳥を探し求めているみたいですが、私は「幸福」とは何なのか、よく考えるのです。特にノルウェーに住んで、ノルウェーの不便さや物価の高さの裏には、ノルウェーなりの「幸福とは?」という問いへの答えがあるということに気付いてから、より幸福について考察するようになりました。

日本でも「幸福度」という言葉を耳にするようになりました。GDPなどに代表される経済成長を追い求めることが、必ずしも人を幸福にするとはかぎらないのではないか、という視点に立って、「幸福の向上」をひとつの指標にしていこう、という動きもあります。これは特に経済発展を成し遂げて、それなりの生活水準を手に入れた国の人たちが、「これからは、もっと量より質を重視した生活(クオリティー オブ ライフ)を送っていきたい」という気持ちのシフトが大きいかとも思いますが(ブータンは例外として)、ノルウェーはこの幸福度が先進国の中でも高いことで知られています。一方日本は先進国中でも幸福度が低い、という指摘がなされています。では、日本人は不幸なのか、といえば、「幸福度」とはそんなに簡単に比較できるものではないようです。「幸福」とは抽象的な概念であり、取り出して重さや長さを量れる類のものではありません。そして、まったく主観に基づいているため、傍から見てたいへん恵まれていると思っても本人は不幸である場合もあれば、反対に周りから見てどう考えても不幸だろう、というような人だって、本人は幸福であることだってあるわけです。また、そのときの気分にも左右されるので、日によって、または一日の中でも時間によって「幸福度」はくるくる変わったりします。

また、文化によっても幸福の捉え方はちがうようです。夏に日本に帰ったときにお会いした京都大学の研究者の方(幸福度の研究をされています)によると、日本人は、10点満点中、理想の幸福度は8点くらいなのだそう。日本人は、自分が10点満点幸福であると、例えばその後は下る一方であると怖くなったり、また、そこまで満足してしまうと、自分が驕ってしまったり、その後成長しなかったりする、という風に考える性質があるそうです。そうすると、10点満点中10点が理想と考える欧米人と比べて日本人の幸福度が低いのは単に文化的な違いによるところもあり、日本人がより不幸であるとは一概にはいえないことになります。