2012/02/14

選択の自由

私たちは、選択の自由があるのはよい事だと教えられてきました。そして、選択肢は沢山あった方がよいと。日本もアメリカも、選択の自由は沢山あります。スーパーマーケットでも、デパートでも、ブティックでも、スペクトルムの端から端まで、あらゆる嗜好にマッチした商品が並べられています。消費者はその中から自分の一番好きなもの、自分の趣味や嗜好に一番フィットする物を選んで購入することができます。何につけても、日本やアメリカは選択肢が沢山あります。

ノルウェーに来てびっくりしたのは、選択肢の数がやけに少ないことです。例えば、牛乳のメーカーは二つしかありません。それでも、普通の牛乳、低脂肪乳、スキムミルク、など最低限の種類はありますが、日本だったらさらにいろいろなパッケージやら、味やら、子供用のやら、豆乳やら、もっともっと沢山の種類の品物が棚にならんでいるでしょう。例えば、学校のカフェテリア。サンドイッチとスープとサラダバーくらいしかありません。例えば、学校。地域によっては私立の学校などないので、基本的に公立のみです。自分の住む地区の公立の学校に行くのが当たり前で、その他の選択肢はあまりありません。大学の数だって少ないので、留学でもしない限り、あまり選択の余地はありません。ノルウェーは何においても選択肢が少ないのです。



始めはあまりの選択肢の無さに怒っていましたが、だんだんと、これはこれでいいのかもしれない、とも思うようになりました。アメリカの場合は、選択肢は確かに多いけれど、品質はそれこそピンからキリまで。良いものはすごく良いけれど、悪いものは本当に粗悪である、という選択肢でした。それが、ノルウェーの場合は、もっとぎゅっ、と縮まった感じ、とでも言えましょうか。選択肢は少ないけれど、どれを選んでもそれなりに良い、と。

ノルウェー人はインテリアがお洒落、という評価がありますが、それはこの選択肢の無さがもたらしたものでもあるように思います。ノルウェーだと、なにを買ってもそれなりで大失敗、ということがないのです。IKEAを見てください。一番安い店であのレベルです。何を買ってもそれなり、という意味が分かっていただけるでしょうか。

選択肢は多いけれど、当たり、外れがすごく激しい場合と、選択肢は少ないけれど、どの結果もそれなりに良い、という場合と、いったいどちらがいいのでしょうか。これは、食品や家具だけでなく、生活そのものにもいえることです。ノルウェーは、アメリカのような億万長者が生まれにくい社会です。その代わり、極貧生活者、というのも同じように生まれにくい社会です。医療も教育も、全員がそれなりのものを受けられます。大成功もないけど大失敗も無い、というのを、退屈と思うか、安全と思うか。個人差もあるかもしれませんが、日本人も社会としてどちらの方向に行きたいのか、考えていかないといけないのではないでしょうか。

4 件のコメント:

  1. とても興味深いお話。成る程・・・・。私はノルウェーの生活、天気と食べ物以外は(笑)大好きなのです♪

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  2. ノルウェーの社会は日本とは違う価値観で動いているので、かなり好き嫌いが分かれるようですね。Yumoさんはノルウェーの生活が大好き、ということですが、具体的にどういうところがいいと思うか、私も興味があります。機会があったらぜひ詳しく教えて下さいね!

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  3. 簡単に一言で言ってしまえば、人間が人間らしく尊重されて生きる事ができる(そう思いたい。。。というか、少なくてもシステム的にはそうなっている)ところでしょうか。
    「公平」と「競争」のことろの、Yukoさんのブログでの見解も納得でした!!

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  4. そうですね。私がいい例です。フルタイムで働いて、ふたりの小さい子供がいるワーキングマザーでも、毎日こうやってブログしたり、コーヒー作ったりするヒマがあるというのは、日本ではちょっと考えられないかもしれないですね。

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