気が付いたらもう9月も半ば。そして、振り返ってみれば、前回の更新は、あれ、5月!?
5月から今まで、いったい何をしていたかといえば、子供の夏休みとそれに伴うロジスティックス、そして新学期、と、なんだかあれよあれよという間に時間が過ぎていってしまいました。この夏はなにをしていたかといえば、子供の学校が6月半ばから8月半ばまでお休みなので、毎年のことですが、日本に一ヶ月ほど帰っていました。その間仕事も全部休み、というわけにもいかないので、仕事も日本に持ち帰り。授業はないので、研究関連や論文執筆、新学期のクラスの準備、などになりますが、別に大学のオフィスにいなければできない仕事、というわけではないのと、だいたいノルウェーでは7月なんて誰も職場にいないので、特に罪悪感を感じることもありません。夫はノルウェーに残っていたのですが、「今日もオフィスで誰にも会わなかった。」なんて言っていたくらいです。こんな調子なので、ノルウェーは社会全体が7月は仮死状態。仕事で誰かにメールを送ってなにかを頼んでも、すぐに返事が返ってくるなんて期待できません。役場だって、人が出払って少人数で対応しているので、なにかと時間がかかります。ノルウェーの人はもうこんな状態に慣れっこなので、「7月は物事が進展する期待をしない」という心構えがなっていますし、大事な事柄(バケーションに出る前にパスポートを申請しておくなど)は7月前に済ませておくわけです。
そうして、8月になるとぼちぼちと職場にも人が戻ってくるようですが、私たちは8月の頭から2週間トルコにバケーションに行っていたので、私はまるまる一ヵ月半オフィスからはなれていたことになります。私などは、日本から戻ってきた時点でちょこっとでも仕事をさせて!という気持ちだっだのですが、夫が「娘たちにとって、日本滞在はバケーションであると同時に学校に行ったり幼稚園に行ったりして、充分な休息であるとは言い難い、よって、家族で本当の意味でのバケーションに行く必要がある」と主張するので、なんだか半強制的にバケーションすることに。私はノートパソコン持参で、トルコのホテルでちょこちょこと遠慮がちに仕事をしていました。とはいえ、毎日飽きるほどプールで泳いだり、ビーチに行ったりして、全員すっかり日焼けしてノルウェーに帰って来ました。
2013/09/17
2013/05/11
ガストロノミー体験
皆さんはガストロノミーという言葉をご存知でしょうか。ウィキペディアでは「美食学」と訳されていましたが、つまり食と文化についての学問、というかんじでしょうか。日本では、食と文化は切っても切れない深い関係があり、また、「食文化」というように、昔から「食」は、ただ食べることだけでなく、さまざまな分野の美術や芸術、土地や気候、そしてもちろん人々の生活にも関連し、非常に深い世界を形成しています。そして、日本人には、食とはそういったものである、という認識もあります。しかし、そういった認識はノルウェーではまだ新しいことのように思います。前にもノルウェー人の食に関する情熱の低さについて書いたかと思いますが、それはもう、ノルウェーのスーパーを訪れていただければすぐに分かります。野菜や果物、魚やお肉、スパイスやバーブなど、種類も鮮度も落ちた品物が並ぶことが多いです。しかし、ノルウェーでも食文化に対する興味が上がってきていて、私がノルウェーに引っ越してきた頃と比べても随分ましになってきたものです。
さて、私が働く大学では、私のほかにも食に関する研究をしている人たちがいます。また、食品会社や食の研究をするプライベートのラボなどもあって、食研究のクラスターを形成していますが、実はあまり交流がありませんでした。最近になって、せっかく近くで仕事をしているのだから、もう少し交流の機会を持ったりコラボレーションしたりしていこう、という空気になり、前よりは活発に交流するようになったようです。その中でも、アカデミック寄りの研究者(食関連の研究をしている大学の研究者)で「フードマーケットリサーチグループ」を形成しているのですが、先日そのグループの親睦ディナーがあったのです。
そのディナーというのが、大学の近くにあるガストロノミックインスティテュートであったのです。ガストロノミックインスティテュートは、つまりガストロノミーを研究する機関です。日本でいう料理専門学校に美食倶楽部のエッセンスが加わったかんじ、とでも言いましょうか。そこで、プロのシェフに料理を教わりながら自分たちでディナーを作る、という趣向でした。ノルウェーは一般人の食文化への情熱は薄いようですが、その一方で、トップでは世界レベルのシェフを輩出しています。私たちに料理を教えてくれたシェフも、昨年のシェフのオリンピックで銀メダルを取ったナショナルチームのメンバーでした。そんなシェフたちが教えてくれる料理は、おいしくて簡単で自分でも自宅で作れる、なんていうものでは全然なく、高級レストランで食べるような、複雑で下ごしらえに何時間もかかるようなコース。一応レシピも最後にもらいましたが、3品のコースで10ページ以上あるような文書。多分自分では作らない(作れない)だろう、と全員が思ったわけですが、そんな自分では絶対つくらないようなデリケートな料理をプロのシェフが一緒に作ってくれる、というのも面白いものです。
さて、私が働く大学では、私のほかにも食に関する研究をしている人たちがいます。また、食品会社や食の研究をするプライベートのラボなどもあって、食研究のクラスターを形成していますが、実はあまり交流がありませんでした。最近になって、せっかく近くで仕事をしているのだから、もう少し交流の機会を持ったりコラボレーションしたりしていこう、という空気になり、前よりは活発に交流するようになったようです。その中でも、アカデミック寄りの研究者(食関連の研究をしている大学の研究者)で「フードマーケットリサーチグループ」を形成しているのですが、先日そのグループの親睦ディナーがあったのです。
そのディナーというのが、大学の近くにあるガストロノミックインスティテュートであったのです。ガストロノミックインスティテュートは、つまりガストロノミーを研究する機関です。日本でいう料理専門学校に美食倶楽部のエッセンスが加わったかんじ、とでも言いましょうか。そこで、プロのシェフに料理を教わりながら自分たちでディナーを作る、という趣向でした。ノルウェーは一般人の食文化への情熱は薄いようですが、その一方で、トップでは世界レベルのシェフを輩出しています。私たちに料理を教えてくれたシェフも、昨年のシェフのオリンピックで銀メダルを取ったナショナルチームのメンバーでした。そんなシェフたちが教えてくれる料理は、おいしくて簡単で自分でも自宅で作れる、なんていうものでは全然なく、高級レストランで食べるような、複雑で下ごしらえに何時間もかかるようなコース。一応レシピも最後にもらいましたが、3品のコースで10ページ以上あるような文書。多分自分では作らない(作れない)だろう、と全員が思ったわけですが、そんな自分では絶対つくらないようなデリケートな料理をプロのシェフが一緒に作ってくれる、というのも面白いものです。
ラムの背中の肉を骨から離しています。 |
2013/05/02
幸福になりたい?
先日出張の帰りにフランクフルトの空港の本屋さんでたまたま買った本は、The End of Men というセンセーショナルなタイトルで、いかに女性の社会進出が進み、それだけでなく、今では男性を凌駕する勢いで、家庭においてメインのブレッドウイナー(パンを勝ち取ってくる人、つまり稼ぎ頭)になっている、というようなことが書いてあります。一体どこの国でそのようなことが起こっているのか、と興味を持って買ったのですが(アメリカの本でした)、いまいち説得力に欠ける内容で、結局最初の2章だけ読んでやめてしまいました。でも、その中でも「ほう」と思ったのは、 高学歴・高収入のカップルの方が自分の結婚に対して満足度が高いという統計がある、ということでした。これは、単に高学歴・高収入のカップルの方が経済的に安定している、ということももちろん関係していると思いますが、話の要点は働き方の違いにありました。高学歴・高収入のキャリアカップルは、稼げる方が稼ぐ、そして相方はそれをできるだけサポートする、そして、どちらが「稼げる方」かは、流動的なのです。例えば、夫が大学院生である間妻が働いて家計を支え、夫が学業を終えて働き始めたら、今度は妻が、お金にはなりにくいけれどやりがいのある仕事につくとか。そうやって、シーソーのように、稼ぎ頭の役を妻と夫が交代でこなしながらサポートし合う結婚をシーソーマリッジというらしいですが、高学歴・高収入のカップルの方が、そういった柔軟性がある、または対応する余地がある、ということでしょうか。
そう思って周りを見渡せば、少なくとも私の周りでは、シーソーするのが普通、というかんじ。上の例のような幅の大きいシーソーもあると思いますが、日常生活がもう幅の少ないシーソーの繰り返し。子供の諸所の送り迎え(学校やら習い事やら友達の家やらパーティーやら)はその代表でしょう。朝はパパが送ってきて、帰りはママがお迎え、またはその反対、などはよくあるパターンです。また、子供が病気のときなども、仕事を休むのは、休める方。子供だけでなく、例えば今日は水道局の人が来るから家にいないといけない、などの所用も、同じようにシーソーで切り抜けます。これは別に特別ではなく、妻も夫も働いていたら、そうしないとやっていけない、ということのように思います。
そう思って周りを見渡せば、少なくとも私の周りでは、シーソーするのが普通、というかんじ。上の例のような幅の大きいシーソーもあると思いますが、日常生活がもう幅の少ないシーソーの繰り返し。子供の諸所の送り迎え(学校やら習い事やら友達の家やらパーティーやら)はその代表でしょう。朝はパパが送ってきて、帰りはママがお迎え、またはその反対、などはよくあるパターンです。また、子供が病気のときなども、仕事を休むのは、休める方。子供だけでなく、例えば今日は水道局の人が来るから家にいないといけない、などの所用も、同じようにシーソーで切り抜けます。これは別に特別ではなく、妻も夫も働いていたら、そうしないとやっていけない、ということのように思います。
2013/04/28
博士過程学生という職業
やけにブログが滞りがちなこのごろですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はというと、なかなかブログに向かう余裕がないのが実情ですが、理由のひとつには、博士課程の学生のセレクションのコミティー(委員会?)に参加するよう頼まれてしまったからです。
ノルウェーの博士課程はアメリカとは随分ちがう、という話は前にも書いたかもしれません。アメリカの大学院は、基本的に学生がお金(授業料)を払って通うものです。もちろん、様々な奨学金やアシスタントの仕事がありますが、つまりは何かしらの手段で働くなりしてお金を稼ぎながら授業料を納めます。私は州立大学に通う外国人だったので、何年州内に暮らしても州外者のステータスは変わらないまま(アメリカ人だと、一年その州に住めば州内者とみなされる)せっせと州外者の授業料を払っていましたっけ(州内者の3倍だったかな)。とはいえ、入ってくる学生の数は多く、最初の2年間は毎学期3クラスずつくらい授業を取ります。ひとつのクラスに少なくとも10人、多ければ50人ほどの学生がいたものです。しかし、最初の年が終わる頃、ミクロやマクロ、計量経済などの基本分野でプレリミナリーイグザムというテストが課されます。これは、通すことより落とすことが目的のテストであり、このテストに受からなかった場合は退学です。このテストは全部の科目で合格しなければならないわけですが、ひとつでも受かった場合は、他がだめでも、修士の学位が与えられるようです。
大学院では、もう死に物狂いで勉強したものです。休日も祝日も関係ありません。とにかく、学期中は勉強と、アシスタントの仕事でもういっぱい、いっぱいでした。独身で、子供もいない自由な身分であったので、どんなに勉強しようが特に問題はなく、ボーイフレンドはクラスメートだったので(今の夫ですけど)、二人で毎日、近くのカフェで勉強したものです。結婚している人や子持ちの人もぼちぼちいましたが、パートナーが学生でない場合は、オフなしの大学院生の特殊な環境は理解し難く、授業と宿題とパートナーと子供の狭間でか・な・り・大変そうだったのを覚えています。
ノルウェーの博士課程はアメリカとは随分ちがう、という話は前にも書いたかもしれません。アメリカの大学院は、基本的に学生がお金(授業料)を払って通うものです。もちろん、様々な奨学金やアシスタントの仕事がありますが、つまりは何かしらの手段で働くなりしてお金を稼ぎながら授業料を納めます。私は州立大学に通う外国人だったので、何年州内に暮らしても州外者のステータスは変わらないまま(アメリカ人だと、一年その州に住めば州内者とみなされる)せっせと州外者の授業料を払っていましたっけ(州内者の3倍だったかな)。とはいえ、入ってくる学生の数は多く、最初の2年間は毎学期3クラスずつくらい授業を取ります。ひとつのクラスに少なくとも10人、多ければ50人ほどの学生がいたものです。しかし、最初の年が終わる頃、ミクロやマクロ、計量経済などの基本分野でプレリミナリーイグザムというテストが課されます。これは、通すことより落とすことが目的のテストであり、このテストに受からなかった場合は退学です。このテストは全部の科目で合格しなければならないわけですが、ひとつでも受かった場合は、他がだめでも、修士の学位が与えられるようです。
大学院では、もう死に物狂いで勉強したものです。休日も祝日も関係ありません。とにかく、学期中は勉強と、アシスタントの仕事でもういっぱい、いっぱいでした。独身で、子供もいない自由な身分であったので、どんなに勉強しようが特に問題はなく、ボーイフレンドはクラスメートだったので(今の夫ですけど)、二人で毎日、近くのカフェで勉強したものです。結婚している人や子持ちの人もぼちぼちいましたが、パートナーが学生でない場合は、オフなしの大学院生の特殊な環境は理解し難く、授業と宿題とパートナーと子供の狭間でか・な・り・大変そうだったのを覚えています。
2013/04/08
公共助け合い精神
ノルウェーで耳にする言葉にDugnadというものがあります。英語だとボランティアと訳されていましたが、つまりは個人がコミュニティーのために労働する、というのが一般的な解釈であるかと思います。日本でいえば、例えば町内会で川原の草取りやごみひろいをする、とかがノルウェーではDugnadとよばれるのではないでしょうか。しかし、このDugnadはどうやらもっと広い意味でも使われているようです。
例えば、私の職場には、みんなでランチを食べたり、コーヒーを飲みながら、だべったりする用のちょっとしたエリアがあります。そこには小さいキッチンもついていて、さすがに料理用のコンロなどはありませんが、コーヒーマシーンや電子レンジ、冷蔵庫もついています。また、食器もいろいろ揃っていて、コーヒーマグやエスプレッソ用のカップ、グラス、お皿などがキャビネットに収まり(食器がFiggyo製なのはやっぱりノルウェーです)、引き出しには沢山のカトラリーも入っています。ノルウェー人は一日に何杯もコーヒーを飲むので、毎日沢山のコーヒーマグが使われます。これらの使われた食器は、各自が食洗機に入れます。さて、このエリアはもちろんみんなで使う公共の場であるわけで、その分明確に誰かの責任下にあるわけではありません。そうすると、誰がいっぱいになった食洗機に洗剤を放り込んで始動させるのか。誰がきれいになった食器をキャビネットに戻すのか。誰がキッチンカウンターにこぼれている砂糖をきれいにするのか。これらは、Dugnadの精神の基づいて、ボランティアベースで気付いた人がすることになっています。偉い人はしない、などどいうことは起こりません。ノルウェー人はDugnadの前には全員平等であると信じているからです。私は学部長自ら、きれいになった食器を黙々と棚に戻すのを目撃しています。しかも何度も。そして、白状すると、私はまだ一回もやってません!
例えば、私の職場には、みんなでランチを食べたり、コーヒーを飲みながら、だべったりする用のちょっとしたエリアがあります。そこには小さいキッチンもついていて、さすがに料理用のコンロなどはありませんが、コーヒーマシーンや電子レンジ、冷蔵庫もついています。また、食器もいろいろ揃っていて、コーヒーマグやエスプレッソ用のカップ、グラス、お皿などがキャビネットに収まり(食器がFiggyo製なのはやっぱりノルウェーです)、引き出しには沢山のカトラリーも入っています。ノルウェー人は一日に何杯もコーヒーを飲むので、毎日沢山のコーヒーマグが使われます。これらの使われた食器は、各自が食洗機に入れます。さて、このエリアはもちろんみんなで使う公共の場であるわけで、その分明確に誰かの責任下にあるわけではありません。そうすると、誰がいっぱいになった食洗機に洗剤を放り込んで始動させるのか。誰がきれいになった食器をキャビネットに戻すのか。誰がキッチンカウンターにこぼれている砂糖をきれいにするのか。これらは、Dugnadの精神の基づいて、ボランティアベースで気付いた人がすることになっています。偉い人はしない、などどいうことは起こりません。ノルウェー人はDugnadの前には全員平等であると信じているからです。私は学部長自ら、きれいになった食器を黙々と棚に戻すのを目撃しています。しかも何度も。そして、白状すると、私はまだ一回もやってません!
別の例をあげると、レンタルのキャビン。これもDugnadの精神に基づいていて、使った後キャビンをきれいにするのは使った人ということになっています。キャビンには必要最低限のものは揃っていますが、やはりスーパーに日用品を買出しに行かないといけません。そして、洗剤やキャンドルやトイレットペーパーなど、余ってしまった物はそのままキャビンに残して行きます。そうして、次の人に使ってもらうのです。自分たちも同じように、そうやって前の人が残していってくれた物の恩恵に与っているのです。
2013/03/07
人生の分岐点
先日、アメリカ人の博士課程の学生とお茶しました。彼女はアメリカの大学でイノベーションについて勉強しているのですが、フルブライト奨学金で今スタヴァンゲル大学のに留学中なのです。来月とうとう博士ディフェンスということで、今博士論文を完成させるのに大忙し。ということは、もちろん同時進行で職探しもしなければならないわけです。そんな彼女から、今後の進路を決める参考にしたいので、あなたの経験についてきかせて欲しい、と言われて、まあ、私の経験で役に立つのなら、と一緒にお茶をすることにしました。彼女はノルウェー系アメリカ人で、ノルウェーに親戚もたくさんいるほどノルウェーとの結びつきは強く、またノルウェーでの暮らしも大変気に入っているようです。
優秀な彼女は、アメリカのコーネル大学からほぼ内定をもらっているのだそうですが、少なくとも始めの半年は講師扱い、つまりテニュアトラック(なぜノルウェーに住んでいるんですか?参照)ではない、そしてそのテニュアトラックに移れる保証はない、という、少しリスキーなオファーであるようです。しかし、今後のキャリアを構築していく上で、名門大学の肩書きは魅力的です。また、名門大学の肩書きがもたらすチャンスやネットーワークの可能性も見逃せません。彼女もその点はしっかり考えているようで、何年コーネルにいることになるかはわからないけれど、そこにいる間にコーネルの名前を使ってできることをできるだけする、という計画のようです。私が、「このチャンスを短期の投資と思って今後の土台作りに専念するかたわら、長期の展望も練っておくのがいいんじゃないの?」と言ったらずいぶん納得していたようでした。
彼女は30歳。微妙な年頃ですが、現在とくにボーイフレンドもいないそうで、そういう意味では機動性には問題ないようですし、短期の投資をするにはちょうど良い機会なのかもしれません。しかし、同時に、名門大学のテニュアへの道はたいへん厳しいと想像します。ということは、もしテニュアトラックへの道が開けたら、その後の5年間は馬車馬のように働くことを意味します。彼女もそれは承知の上です。そして、彼女はできればライフ・ワークバランスの取れた生活を送りたいとも思っていて、長期的にはノルウェーの大学の戻って来たいそうです。その意味でも、コーネルの名前が彼女の履歴書にハクを付けてくれるはずですし、コーネル時代に培うネットワークは、たとえノルウェーに移っても役立つでしょう。つまり、短期の投資と長期の展望。コーネルにいる間は多少ライフ・ワークバランスが崩れることはあるかもしれませんが、短期間と思って割り切れば乗り切れるのではないでしょうか。そして、ノルウェーに移るのが長期の目的であるならば、ノルウェーの大学の求人情報などに目を光らせておけば、移り時も分かります。もしコーネルが気に入って留まりたいと思えば、それも可能です。そういう意味で、フレキシブルな計画です。
優秀な彼女は、アメリカのコーネル大学からほぼ内定をもらっているのだそうですが、少なくとも始めの半年は講師扱い、つまりテニュアトラック(なぜノルウェーに住んでいるんですか?参照)ではない、そしてそのテニュアトラックに移れる保証はない、という、少しリスキーなオファーであるようです。しかし、今後のキャリアを構築していく上で、名門大学の肩書きは魅力的です。また、名門大学の肩書きがもたらすチャンスやネットーワークの可能性も見逃せません。彼女もその点はしっかり考えているようで、何年コーネルにいることになるかはわからないけれど、そこにいる間にコーネルの名前を使ってできることをできるだけする、という計画のようです。私が、「このチャンスを短期の投資と思って今後の土台作りに専念するかたわら、長期の展望も練っておくのがいいんじゃないの?」と言ったらずいぶん納得していたようでした。
彼女は30歳。微妙な年頃ですが、現在とくにボーイフレンドもいないそうで、そういう意味では機動性には問題ないようですし、短期の投資をするにはちょうど良い機会なのかもしれません。しかし、同時に、名門大学のテニュアへの道はたいへん厳しいと想像します。ということは、もしテニュアトラックへの道が開けたら、その後の5年間は馬車馬のように働くことを意味します。彼女もそれは承知の上です。そして、彼女はできればライフ・ワークバランスの取れた生活を送りたいとも思っていて、長期的にはノルウェーの大学の戻って来たいそうです。その意味でも、コーネルの名前が彼女の履歴書にハクを付けてくれるはずですし、コーネル時代に培うネットワークは、たとえノルウェーに移っても役立つでしょう。つまり、短期の投資と長期の展望。コーネルにいる間は多少ライフ・ワークバランスが崩れることはあるかもしれませんが、短期間と思って割り切れば乗り切れるのではないでしょうか。そして、ノルウェーに移るのが長期の目的であるならば、ノルウェーの大学の求人情報などに目を光らせておけば、移り時も分かります。もしコーネルが気に入って留まりたいと思えば、それも可能です。そういう意味で、フレキシブルな計画です。
2013/02/17
仕事と育休と移民女性
ちょっと前に日本人の集まりで、スタヴァンゲルに越してきたばかりの若い女性にお会いしました。彼女は今妊娠7ヶ月。初めての出産を外国で、という勇気ある女性でしたが、やはり引越直後は大変だったようです。前にも書きましたが、ノルウェーに居住する人はみんな自分の社会保障番号を持っています(ノルウェーの共通番号制度)。ノルウェーに引っ越してきたら、とにかくこの番号を取ってしまわないと、いろいろ不都合がでてきますが、番号をもらう手続きもめんどくさく、私も何度も窓口に出向いたのを覚えています。妊娠中となると、毎月検診にかかるわけですが、これも、社会保障番号がないと大変です。ノルウェーでは、みんなファストレゲとよばれる、かかりつけのジェネラルドクターを持っています。これも、社会保障番号をもらってから、自分の住む地区でまだ患者を取る余裕のある医者を政府のウェブサイトで検索して見つけるのです。妊娠したかな、と思ったら、普通はこのファストレゲに検診してもらい、その後お産婆さん(ミッドワイフ、ノルウェー語ではヨードモー)や必要とあれば産婦人科の専門医に診てもらいます。しかし、これは妊婦に限らず、ノルウェーではまずファストレゲに診てもらって、必要に応じてファストレゲが専門医に紹介状を送る、というふうになっているので、ファストレゲがすべての医療の窓口となります。なので、ファストレゲがいないと、誰にも診てもらえない、という状態になってしまうのです。しかし、ファストレゲを得るには、社会保障番号を持っていないといけません。反対に、社会保障番号さえ持っていれば、なんでもかなりスムーズに進みます。
前述の女性も、やはり始めは色々苦労があったようですが、自分も同じような境遇であったことを思えば、「やっぱりね」というノルウェーの制度に対するあきらめを感じこそすれ、驚きはしません。しかし、彼女と話していて私がびっくりしたのは、奥さんが働いていない場合、旦那さんは育休が取れない、ときいたからです。ノルウェーの寛容な産休・育休制度につても前に書きましたし、私も夫もこの制度で日本では考えられないような長い有給の育休を取ったのです。しかも、パパクオータと呼ばれるパパの割り当ては増える一方で、今では10ヶ月から一年の産休・育休のうち、最低12週間はパパが取ることになっているのです。これも、子供には父親の育児の参加が不可欠であるという理念に基づいた政府の方針によるものです。それなのに、母親が働いていない場合は育休がとれない、とはどういうことでしょうか。父親の育児参加は母親の職の有無に関わらずに大切なのでは?
納得のいかない私は夫や周りの人にその制度についてきいたのですが、どうやらそれは本当のようです。しかし、自分や同僚など、私の周りは働いている人がほとんどだったため、今まで知らずにいました。しかし、この制度は父親の育児参加の奨励という政策との一貫性に欠けるのでは、という私の疑問については、他の政策との関連が指摘されました。すなわち、女性の労働市場参加の促進です。この、母親が働いていない場合父親の育休ナシ、という制度は、母親が働いていない家庭にとっては、明らかに損な制度です。つまり、女性は働いていた方がこの場合トクなのです。女性が労働市場に参加することに対するインセンティブが働くわけです。ただでさえ物価が高く、住宅はさらに高いノルウェー。共働きでもないとやっていけない、というのが実情だとしても、実際に共働きが当たり前。育休制度でも共働きの方が明らかに優遇されているようです。比較的緩めの労働環境も加わって、共働き、というか、女性が労働市場に参加したくなるように社会全体が動いている感じです。
前述の女性も、やはり始めは色々苦労があったようですが、自分も同じような境遇であったことを思えば、「やっぱりね」というノルウェーの制度に対するあきらめを感じこそすれ、驚きはしません。しかし、彼女と話していて私がびっくりしたのは、奥さんが働いていない場合、旦那さんは育休が取れない、ときいたからです。ノルウェーの寛容な産休・育休制度につても前に書きましたし、私も夫もこの制度で日本では考えられないような長い有給の育休を取ったのです。しかも、パパクオータと呼ばれるパパの割り当ては増える一方で、今では10ヶ月から一年の産休・育休のうち、最低12週間はパパが取ることになっているのです。これも、子供には父親の育児の参加が不可欠であるという理念に基づいた政府の方針によるものです。それなのに、母親が働いていない場合は育休がとれない、とはどういうことでしょうか。父親の育児参加は母親の職の有無に関わらずに大切なのでは?
納得のいかない私は夫や周りの人にその制度についてきいたのですが、どうやらそれは本当のようです。しかし、自分や同僚など、私の周りは働いている人がほとんどだったため、今まで知らずにいました。しかし、この制度は父親の育児参加の奨励という政策との一貫性に欠けるのでは、という私の疑問については、他の政策との関連が指摘されました。すなわち、女性の労働市場参加の促進です。この、母親が働いていない場合父親の育休ナシ、という制度は、母親が働いていない家庭にとっては、明らかに損な制度です。つまり、女性は働いていた方がこの場合トクなのです。女性が労働市場に参加することに対するインセンティブが働くわけです。ただでさえ物価が高く、住宅はさらに高いノルウェー。共働きでもないとやっていけない、というのが実情だとしても、実際に共働きが当たり前。育休制度でも共働きの方が明らかに優遇されているようです。比較的緩めの労働環境も加わって、共働き、というか、女性が労働市場に参加したくなるように社会全体が動いている感じです。
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