2012/04/19

数学食べず嫌い?

大学では経済学、特に計量経済学を教えている私ですが、計量経済学というのは経済学の問題を分析するために発展した統計学のことです。統計学はもちろん数学をたくさん使います。自分が今そのような学問を大学院生に教えている、という事実を鑑みると、私はまったく驚いてしまいます。なぜなら、私は小学校から高校を卒業するまで、数学が得意であったためしがないのです。得意だった教科は英語、国語、社会などで、理科はそこそこ、そして数学はいつもぱっとしない成績でした。なので、高校では迷うことなく文系のコースを選び、できるだけ数学から離れるように努力していました。微分・積分なんて、一体将来どんな役に立つというのか、と半ば怒りながら数学の授業を取っていたものでした。特に、私は国際公務員になるのが夢で、開発学を勉強したいと思っていたので、数学なんて人生に必要ないわ、と思っていたのです。

それが、どこをどうやって今に至ったのか。きっかけはやはり留学したことです。アメリカの大学で、アメリカ人に混じって勉強する。たとえ日本では英語が得意であったとしても、それまでの人生英語のみで生きてきたアメリカ人と比べたらそんなものは全く役にたちません。そして、忘れもしない、始めて取った国際関係論の授業で、いきなり必須の本が7冊。レポート5本。日本語でも大変なのに、英語でなんて、今まで英語の本を一冊読みきったこともない私には、どう考えてもムリ。結局そのクラスを取るのも、国際関係学を勉強するのも諦めました。

そこで、私は考えました。どうやったらアメリカ人と対等に渡り合えるのか。英語ではどう考えても勝ち目はない。そこで思い至ったのが、数学。数字の言語は万国共通。数学だったらなんとかなるかも。これは、今思い返せば、私の人生を180度変えることになった思いつきでした。日本にいたときは苦手だった数学ですが、そうはいっても数学のレベルの高い(はずの)日本の高校を出たのだから、その辺のアメリカ人よりはできるだろう。そう思って、数学のクラスを取り始めたのです。そうしたら案の定、大学の数学のクラスで、日本の高校、下手したら中学レベルの問題が出てくるではないですか。なので、問題さえ理解できれば、解くのは楽勝!そうやって数学のクラスを取って行く中で出会ったのが統計学です。そして、標準分布の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった私は、そのまま統計学の学位を取ることにして、ついでに経済学の学位も取っちゃいました。そうして現在の私につながっていくわけです。


そんな自分の遍歴を考えたときに思うのは、私は本当に数学が不得意だったのか、ということです。特に日本の中学・高校時代に数学ができない、と思っていたのは、実は思い込みではなかったのか、とも思うのです。今はどうだか分かりませんが、私が中学・高校生だったころ、女の子は数学が苦手である、というふうに思われていました。男子は理系、女子は文系、みたいな雰囲気があって、女の子は数学ができないものだ、と。たまに数学ができる女子がいると、「すご~い」と尊敬とちょっと不思議な物を見るようなのが混じった視線が向けられていたものです。

今思えば、数学とは私にとってのほうれん草やブロッコリーであったと思うのです。私が子供の頃は、子供はほうれん草やブロッコリーが嫌いである、とされていました。テレビ番組などでも、子供はたいていブロッコリーが食べたくないのに親から「ちゃんとブロッコリー食べなさい」と言われていたりして。なので、私も、ほうれん草やブロッコリーは美味しくないんだ、と思い込んでいました。ほうれん草もブロッコリーも美味しいじゃん、と思ったのは随分後になってからです。数学も同じで、昔は、私は数学はできないのだ、と思い込んでいたような気がします。それが発想を転換したことで、今度は逆に「私は数学ができる」と考えるようになって始めて、「やればできる」となったのです。

もちろん、本当にほうれん草やブロッコリーが嫌いな人もいるでしょうし、本当に数学が苦手な人もいることでしょう。しかし、私のように、なんとなく社会全体でそういうことになっているから、という理由でそう思い込んでいる人もいるのではないでしょうか。そうだとしたら、そのまま「苦手」と思い続けるのは勿体無い気がします。特に若い女の子などの間でもっと数学ができるのが「かっこいい」ことになれば、もっと色々な道もひらけるのではないでしょうか。昔、もう一生使うことはない、と思っていた関数だって微分・積分だって、経済学や統計学では必要不可欠な知識であり、大変役に立っています。数学は決して無駄で使い道のない道具ではありませんよ。

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