2013/05/02

幸福になりたい?

先日出張の帰りにフランクフルトの空港の本屋さんでたまたま買った本は、The End of Men というセンセーショナルなタイトルで、いかに女性の社会進出が進み、それだけでなく、今では男性を凌駕する勢いで、家庭においてメインのブレッドウイナー(パンを勝ち取ってくる人、つまり稼ぎ頭)になっている、というようなことが書いてあります。一体どこの国でそのようなことが起こっているのか、と興味を持って買ったのですが(アメリカの本でした)、いまいち説得力に欠ける内容で、結局最初の2章だけ読んでやめてしまいました。でも、その中でも「ほう」と思ったのは、 高学歴・高収入のカップルの方が自分の結婚に対して満足度が高いという統計がある、ということでした。これは、単に高学歴・高収入のカップルの方が経済的に安定している、ということももちろん関係していると思いますが、話の要点は働き方の違いにありました。高学歴・高収入のキャリアカップルは、稼げる方が稼ぐ、そして相方はそれをできるだけサポートする、そして、どちらが「稼げる方」かは、流動的なのです。例えば、夫が大学院生である間妻が働いて家計を支え、夫が学業を終えて働き始めたら、今度は妻が、お金にはなりにくいけれどやりがいのある仕事につくとか。そうやって、シーソーのように、稼ぎ頭の役を妻と夫が交代でこなしながらサポートし合う結婚をシーソーマリッジというらしいですが、高学歴・高収入のカップルの方が、そういった柔軟性がある、または対応する余地がある、ということでしょうか。

そう思って周りを見渡せば、少なくとも私の周りでは、シーソーするのが普通、というかんじ。上の例のような幅の大きいシーソーもあると思いますが、日常生活がもう幅の少ないシーソーの繰り返し。子供の諸所の送り迎え(学校やら習い事やら友達の家やらパーティーやら)はその代表でしょう。朝はパパが送ってきて、帰りはママがお迎え、またはその反対、などはよくあるパターンです。また、子供が病気のときなども、仕事を休むのは、休める方。子供だけでなく、例えば今日は水道局の人が来るから家にいないといけない、などの所用も、同じようにシーソーで切り抜けます。これは別に特別ではなく、妻も夫も働いていたら、そうしないとやっていけない、ということのように思います。

2013/04/28

博士過程学生という職業

やけにブログが滞りがちなこのごろですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はというと、なかなかブログに向かう余裕がないのが実情ですが、理由のひとつには、博士課程の学生のセレクションのコミティー(委員会?)に参加するよう頼まれてしまったからです。

ノルウェーの博士課程はアメリカとは随分ちがう、という話は前にも書いたかもしれません。アメリカの大学院は、基本的に学生がお金(授業料)を払って通うものです。もちろん、様々な奨学金やアシスタントの仕事がありますが、つまりは何かしらの手段で働くなりしてお金を稼ぎながら授業料を納めます。私は州立大学に通う外国人だったので、何年州内に暮らしても州外者のステータスは変わらないまま(アメリカ人だと、一年その州に住めば州内者とみなされる)せっせと州外者の授業料を払っていましたっけ(州内者の3倍だったかな)。とはいえ、入ってくる学生の数は多く、最初の2年間は毎学期3クラスずつくらい授業を取ります。ひとつのクラスに少なくとも10人、多ければ50人ほどの学生がいたものです。しかし、最初の年が終わる頃、ミクロやマクロ、計量経済などの基本分野でプレリミナリーイグザムというテストが課されます。これは、通すことより落とすことが目的のテストであり、このテストに受からなかった場合は退学です。このテストは全部の科目で合格しなければならないわけですが、ひとつでも受かった場合は、他がだめでも、修士の学位が与えられるようです。

大学院では、もう死に物狂いで勉強したものです。休日も祝日も関係ありません。とにかく、学期中は勉強と、アシスタントの仕事でもういっぱい、いっぱいでした。独身で、子供もいない自由な身分であったので、どんなに勉強しようが特に問題はなく、ボーイフレンドはクラスメートだったので(今の夫ですけど)、二人で毎日、近くのカフェで勉強したものです。結婚している人や子持ちの人もぼちぼちいましたが、パートナーが学生でない場合は、オフなしの大学院生の特殊な環境は理解し難く、授業と宿題とパートナーと子供の狭間でか・な・り・大変そうだったのを覚えています。

2013/04/08

公共助け合い精神

ノルウェーで耳にする言葉にDugnadというものがあります。英語だとボランティアと訳されていましたが、つまりは個人がコミュニティーのために労働する、というのが一般的な解釈であるかと思います。日本でいえば、例えば町内会で川原の草取りやごみひろいをする、とかがノルウェーではDugnadとよばれるのではないでしょうか。しかし、このDugnadはどうやらもっと広い意味でも使われているようです。

例えば、私の職場には、みんなでランチを食べたり、コーヒーを飲みながら、だべったりする用のちょっとしたエリアがあります。そこには小さいキッチンもついていて、さすがに料理用のコンロなどはありませんが、コーヒーマシーンや電子レンジ、冷蔵庫もついています。また、食器もいろいろ揃っていて、コーヒーマグやエスプレッソ用のカップ、グラス、お皿などがキャビネットに収まり(食器がFiggyo製なのはやっぱりノルウェーです)、引き出しには沢山のカトラリーも入っています。ノルウェー人は一日に何杯もコーヒーを飲むので、毎日沢山のコーヒーマグが使われます。これらの使われた食器は、各自が食洗機に入れます。さて、このエリアはもちろんみんなで使う公共の場であるわけで、その分明確に誰かの責任下にあるわけではありません。そうすると、誰がいっぱいになった食洗機に洗剤を放り込んで始動させるのか。誰がきれいになった食器をキャビネットに戻すのか。誰がキッチンカウンターにこぼれている砂糖をきれいにするのか。これらは、Dugnadの精神の基づいて、ボランティアベースで気付いた人がすることになっています。偉い人はしない、などどいうことは起こりません。ノルウェー人はDugnadの前には全員平等であると信じているからです。私は学部長自ら、きれいになった食器を黙々と棚に戻すのを目撃しています。しかも何度も。そして、白状すると、私はまだ一回もやってません!


別の例をあげると、レンタルのキャビン。これもDugnadの精神に基づいていて、使った後キャビンをきれいにするのは使った人ということになっています。キャビンには必要最低限のものは揃っていますが、やはりスーパーに日用品を買出しに行かないといけません。そして、洗剤やキャンドルやトイレットペーパーなど、余ってしまった物はそのままキャビンに残して行きます。そうして、次の人に使ってもらうのです。自分たちも同じように、そうやって前の人が残していってくれた物の恩恵に与っているのです。

2013/03/07

人生の分岐点

先日、アメリカ人の博士課程の学生とお茶しました。彼女はアメリカの大学でイノベーションについて勉強しているのですが、フルブライト奨学金で今スタヴァンゲル大学のに留学中なのです。来月とうとう博士ディフェンスということで、今博士論文を完成させるのに大忙し。ということは、もちろん同時進行で職探しもしなければならないわけです。そんな彼女から、今後の進路を決める参考にしたいので、あなたの経験についてきかせて欲しい、と言われて、まあ、私の経験で役に立つのなら、と一緒にお茶をすることにしました。彼女はノルウェー系アメリカ人で、ノルウェーに親戚もたくさんいるほどノルウェーとの結びつきは強く、またノルウェーでの暮らしも大変気に入っているようです。

優秀な彼女は、アメリカのコーネル大学からほぼ内定をもらっているのだそうですが、少なくとも始めの半年は講師扱い、つまりテニュアトラック(なぜノルウェーに住んでいるんですか?参照)ではない、そしてそのテニュアトラックに移れる保証はない、という、少しリスキーなオファーであるようです。しかし、今後のキャリアを構築していく上で、名門大学の肩書きは魅力的です。また、名門大学の肩書きがもたらすチャンスやネットーワークの可能性も見逃せません。彼女もその点はしっかり考えているようで、何年コーネルにいることになるかはわからないけれど、そこにいる間にコーネルの名前を使ってできることをできるだけする、という計画のようです。私が、「このチャンスを短期の投資と思って今後の土台作りに専念するかたわら、長期の展望も練っておくのがいいんじゃないの?」と言ったらずいぶん納得していたようでした。

彼女は30歳。微妙な年頃ですが、現在とくにボーイフレンドもいないそうで、そういう意味では機動性には問題ないようですし、短期の投資をするにはちょうど良い機会なのかもしれません。しかし、同時に、名門大学のテニュアへの道はたいへん厳しいと想像します。ということは、もしテニュアトラックへの道が開けたら、その後の5年間は馬車馬のように働くことを意味します。彼女もそれは承知の上です。そして、彼女はできればライフ・ワークバランスの取れた生活を送りたいとも思っていて、長期的にはノルウェーの大学の戻って来たいそうです。その意味でも、コーネルの名前が彼女の履歴書にハクを付けてくれるはずですし、コーネル時代に培うネットワークは、たとえノルウェーに移っても役立つでしょう。つまり、短期の投資と長期の展望。コーネルにいる間は多少ライフ・ワークバランスが崩れることはあるかもしれませんが、短期間と思って割り切れば乗り切れるのではないでしょうか。そして、ノルウェーに移るのが長期の目的であるならば、ノルウェーの大学の求人情報などに目を光らせておけば、移り時も分かります。もしコーネルが気に入って留まりたいと思えば、それも可能です。そういう意味で、フレキシブルな計画です。

2013/02/17

仕事と育休と移民女性

ちょっと前に日本人の集まりで、スタヴァンゲルに越してきたばかりの若い女性にお会いしました。彼女は今妊娠7ヶ月。初めての出産を外国で、という勇気ある女性でしたが、やはり引越直後は大変だったようです。前にも書きましたが、ノルウェーに居住する人はみんな自分の社会保障番号を持っています(ノルウェーの共通番号制度)。ノルウェーに引っ越してきたら、とにかくこの番号を取ってしまわないと、いろいろ不都合がでてきますが、番号をもらう手続きもめんどくさく、私も何度も窓口に出向いたのを覚えています。妊娠中となると、毎月検診にかかるわけですが、これも、社会保障番号がないと大変です。ノルウェーでは、みんなファストレゲとよばれる、かかりつけのジェネラルドクターを持っています。これも、社会保障番号をもらってから、自分の住む地区でまだ患者を取る余裕のある医者を政府のウェブサイトで検索して見つけるのです。妊娠したかな、と思ったら、普通はこのファストレゲに検診してもらい、その後お産婆さん(ミッドワイフ、ノルウェー語ではヨードモー)や必要とあれば産婦人科の専門医に診てもらいます。しかし、これは妊婦に限らず、ノルウェーではまずファストレゲに診てもらって、必要に応じてファストレゲが専門医に紹介状を送る、というふうになっているので、ファストレゲがすべての医療の窓口となります。なので、ファストレゲがいないと、誰にも診てもらえない、という状態になってしまうのです。しかし、ファストレゲを得るには、社会保障番号を持っていないといけません。反対に、社会保障番号さえ持っていれば、なんでもかなりスムーズに進みます。

前述の女性も、やはり始めは色々苦労があったようですが、自分も同じような境遇であったことを思えば、「やっぱりね」というノルウェーの制度に対するあきらめを感じこそすれ、驚きはしません。しかし、彼女と話していて私がびっくりしたのは、奥さんが働いていない場合、旦那さんは育休が取れない、ときいたからです。ノルウェーの寛容な産休・育休制度につても前に書きましたし、私も夫もこの制度で日本では考えられないような長い有給の育休を取ったのです。しかも、パパクオータと呼ばれるパパの割り当ては増える一方で、今では10ヶ月から一年の産休・育休のうち、最低12週間はパパが取ることになっているのです。これも、子供には父親の育児の参加が不可欠であるという理念に基づいた政府の方針によるものです。それなのに、母親が働いていない場合は育休がとれない、とはどういうことでしょうか。父親の育児参加は母親の職の有無に関わらずに大切なのでは?

納得のいかない私は夫や周りの人にその制度についてきいたのですが、どうやらそれは本当のようです。しかし、自分や同僚など、私の周りは働いている人がほとんどだったため、今まで知らずにいました。しかし、この制度は父親の育児参加の奨励という政策との一貫性に欠けるのでは、という私の疑問については、他の政策との関連が指摘されました。すなわち、女性の労働市場参加の促進です。この、母親が働いていない場合父親の育休ナシ、という制度は、母親が働いていない家庭にとっては、明らかに損な制度です。つまり、女性は働いていた方がこの場合トクなのです。女性が労働市場に参加することに対するインセンティブが働くわけです。ただでさえ物価が高く、住宅はさらに高いノルウェー。共働きでもないとやっていけない、というのが実情だとしても、実際に共働きが当たり前。育休制度でも共働きの方が明らかに優遇されているようです。比較的緩めの労働環境も加わって、共働き、というか、女性が労働市場に参加したくなるように社会全体が動いている感じです。

2013/02/11

ノルウェーのキャビンでスキー休暇

今週娘たちの学校が冬休みなので、スキーバケーションに来ています。やって来たのはヴァルドレス地方のファルガネスの近くのキャビン。オスロから北の方に二時間半ほど行ったところです。なぜスタヴァンゲルから車で8時間もかけてここまで来たのか。ひとつには友人夫婦と一緒に来たからです。彼らは去年も同じキャビンをレンタルしたそうですが、大変気に入ったのでまた行きたい、と言います。もうひとつには、値段。スタヴァンゲル一帯はみんな学校が冬休みなので、キャビンを持っている人はいいとして、私たちのようにキャビンを所有していない人はレンタルしなければいけないわけですが、ピークシーズンということでたいへん値段が高いのです。ファルガネスは、オスロに住む人たちがスキーに訪れる場所ですが、オスロとは冬休みの時期がずれているので、こっちならオフピークの値段でキャビンが借りられます。私たちが借りているキャビンも、ピーク時には値段が4倍以上にも跳ね上がるそうな。

そういうわけで、一日かけて荷物でいっぱいの車を運転して、こんな遠くまでやってきたわけですが、娘たちは日本に帰ったりして長旅に慣れているので、移動は特に問題なくスムーズにいきました。ただ、途中休み休み来たので、朝の8時に出発して、到着したのは夜の7時。やはり長旅でした。しかも、私たちのバケーションはスペインなど南に行くことが多いので、今回のように、長旅の後に辿り着くのが、暖かいビーチではなく雪深い山奥なのはいつもと随分違います。また、泊まる所も、リゾートホテルではなく、ノルウェーの山小屋。

ノルウェーの山小屋というのは、基本的に質素なものです。最近は、よりラグジョリアスなキャビンが増えてきたとはいえ、基本はシンプルなのです。友人夫婦にも、「キャビンはすごくシンプルなものだから」と、忠告を受けていました。それでも、暖かいお湯もでるし、トイレも家の中にあるし、車も家の前に止めれられるし、ずいぶん快適であるといいます。では、そうでないキャビンもあるのかといえば、あるのです。私の同僚の一人は、山奥の小島に彼の家族が代々所有するキャビンを持っているそうですが、冬は行かないそうです。昔に建てられたキャビンは、ちゃんと防寒層(?)を入れた壁ではなく、もちろん窓も一重なので、そこでは寒くて冬は過ごせないそうです。また、シャワーもなく、夏ならば近くの川や湖で行水するのですが、さすがに冬ではそうもいなかいと。さらに、島にはちゃんとした下水道が通っていないので、家の外に建っているトイレも水洗とはいきません。「シンプル」と言えは聞こえはいいかもしれませんが、こうなるともう現代人が我慢できる限界を超えてしまった感じです。彼も、「僕の先祖はそうやって暮らしていたのだけれど、今の僕たちにはとても無理だよ。」と言っていました。

レンタルしたキャビン。

2013/01/31

お誕生パーティー

子供のいるみなさんは、子供の誕生パーティー、どうされてますか?考えてみたら、子供を持ってから日本で子供の誕生会に呼ばれた記憶がないので、日本の誕生会事情がどんなものなのか知らないのですが、どこでするか、誰を招待するか、など、いろいろ頭が痛いのは同じなのでしょうか。

我が家でも先日上の娘の7歳の誕生会を行いました。誕生日は平日だったので、その週末に誕生会を開くことにして、土曜日に親戚・家族で、日曜日にお友達をよんで、と2度パーティーです。家族でのパーティーはもちろん自宅ですが、お友達をよんでのパーティーは、近くのプレイランド、というのか、巨大な屋内の遊び場施設で行いました。なにしろ、クラス全員招待してあるので、全員来たら21人。とても自宅では無理です。

この、クラス全員招待、というのも、随分検討を重ねた末の結論です。親友二人はまず招待するにして、そのほかの子供たちのうち、誰を招待するのか。他に2,3人女の子を招待するのならばもちろん自宅でしますが、この2,3人を選ぶのが随分難しかったのです。あの子も、この子も、と思えばどんどん数が増えていきます。そして、お誕生会によんでもらった子は、やはり自分の誕生日にも招待したいのは当然です。また、7歳ともなると、誰が誰の誕生会に行くのか、という情報は子供たちの間で伝達される模様。そうして、へんに仲間はずれにされてしまう子供がいたら困るし、などど考えると、結局「もう、全員招待してしまえ」ということになりました。