今日は金曜日。そして、(珍しく)とってもいいお天気。ちょっと軽い足取りで家を出て、学校・職場に向かうべく車を運転していると、なんだかいつもよりすいすい進みます。道路が格段にすいているのです。いつもなら渋滞で、20分くらいかかる道のりが、10分で着いてしまいました。そして、職場に行くと、駐車場も、かなり場所が空いています。いつもなら、やっとスペースを見つけるくらい混んでいるのに。
ランチタイムにも、人があまりいません。いつもなら、テーブルの周りいっぱいに人がいるのに、今日はぱらぱら。博士課程のメキシコ人学生が「今日なにかセミナーでもあったっけ?」と私にきいてきたのは、私たちノルウェー語良く分からない組は、たまにアナウンスメントなどを逃してしまい、みんなが知っていることを知らないでいることがあるからです。後から来たノルウェー人同僚にきいても、別になにもないと思う、とのこと。どうやら、金曜日で天気がいいために、みんな仕事に来ていないようだ、という結論に達しました。そんなんでいいの!?とはいっても、私たちの仕事はフレキシブルなので、家で仕事をしていたり、また、今日は休んで明日仕事、など、わりと自由に時間をずらすことが可能なので、みんながさぼっている、と言っているわけでもありません。実際片道1時間半かけて通勤している同僚は、月曜日と金曜日は原則職場に来ませんが、その分家で仕事をしています。
この、金曜日仕事に行く人が少ない、というのは、実はわりと毎週のことです。それは、朝の道路の渋滞状況からはっきり分かります。金曜日はいつもより確実に道がすいていますし、職場の駐車場も空きのスペースが沢山あります。ただ、今日は金曜日にプラスしてお天気もよかったので、いつもよりさらに仕事に行く人が少なかった模様。
2012/05/04
2012/05/02
ノルウェー人と日焼け
日本はゴールデンウイークですが、ノルウェーでも学校が、月、火とお休みだったので、連休だった人もたくさんいたと思います。
さて、そうして連休明けの今日職場に来てみたら、やけにみんな日焼けしています。同僚の一人は、サングラスのあとまでくっきり。他の同僚も「一日庭で日光浴していたら、こんなに日焼けしちゃった」と言っていました。どうやら、週末お天気が良かったので、みんな外で過ごしたため、日焼けしてしまったようです。ノルウェー人、また、他のヨーロッパ人もそうかもしれませんが、みんな日焼け好きのように思います。もちろん個人差はありますが、概して適度に日焼けしていた方が良い、と思われているようです。
これは、バケーションと関係があるのでしょうか?つまり、天気の悪いノルウェーにいたらなかなか日焼けできないけれど、南にバケーションに行けばこんがり日焼けして帰ってくるのがお約束。そういう意味で、日焼けはスタータスシンボルなのかもしれません。また、健康のため、という理由もあるかと思います。日照時間が短い北欧の冬は、ビタミンD不足になりがちなので、太陽が出ていたら、当たってビタミンを作るべし、ということになっています。また、アウトドアアクティビィティー好きのノルウェー人は、外にいる分、日にも焼けやすいことでしょう。
しかし、はっきり日焼けの努力をしている姿も見て取れます。例えば、晴れて天気の良い日の庭の芝刈り(もちろん機械で)などは、男性なら上半身裸、女性なら上はビキニ、などで行っているのも見かけます。また、庭で日光浴するのもよくあることです。確かに、北欧に住んでいると、太陽が出たとき、次にいつ出て来るか分からないので、「今当っておかないと」みたいな気持ちはありますし、太陽が肌にあたる心地良い暖かさは、そんな経験をする機会が少ない分、大変貴重で、幸せに感じます。しかし、それは別に服を着ていてもできるわけですから、やはり服を着ないでやっている場合は日焼け目的ということではないでしょうか。
さて、そうして連休明けの今日職場に来てみたら、やけにみんな日焼けしています。同僚の一人は、サングラスのあとまでくっきり。他の同僚も「一日庭で日光浴していたら、こんなに日焼けしちゃった」と言っていました。どうやら、週末お天気が良かったので、みんな外で過ごしたため、日焼けしてしまったようです。ノルウェー人、また、他のヨーロッパ人もそうかもしれませんが、みんな日焼け好きのように思います。もちろん個人差はありますが、概して適度に日焼けしていた方が良い、と思われているようです。
これは、バケーションと関係があるのでしょうか?つまり、天気の悪いノルウェーにいたらなかなか日焼けできないけれど、南にバケーションに行けばこんがり日焼けして帰ってくるのがお約束。そういう意味で、日焼けはスタータスシンボルなのかもしれません。また、健康のため、という理由もあるかと思います。日照時間が短い北欧の冬は、ビタミンD不足になりがちなので、太陽が出ていたら、当たってビタミンを作るべし、ということになっています。また、アウトドアアクティビィティー好きのノルウェー人は、外にいる分、日にも焼けやすいことでしょう。
しかし、はっきり日焼けの努力をしている姿も見て取れます。例えば、晴れて天気の良い日の庭の芝刈り(もちろん機械で)などは、男性なら上半身裸、女性なら上はビキニ、などで行っているのも見かけます。また、庭で日光浴するのもよくあることです。確かに、北欧に住んでいると、太陽が出たとき、次にいつ出て来るか分からないので、「今当っておかないと」みたいな気持ちはありますし、太陽が肌にあたる心地良い暖かさは、そんな経験をする機会が少ない分、大変貴重で、幸せに感じます。しかし、それは別に服を着ていてもできるわけですから、やはり服を着ないでやっている場合は日焼け目的ということではないでしょうか。
2012/05/01
プレイケストーレンに登ってきました
先週は、オスロの北にあるオース(Ås)の大学でリサーチフェローをしている若い日本人の研究者の人が来ていました。セミナーで発表してくれるようにお願いしてきてもらったのですが、個人的にも知り合いなので、セミナーが終わったあともそのまま残ってもらったのです。彼と始めて会ったのはコロラドにいた頃です。私たちはコロラド州立大学に勤めていたのですが、同じくコロラドにある、コロラド大学でポスドクをしていたのが彼です。環境経済学者、ということで、分野も重なるし、また、夫の研究分野と同じなので、コロラドでも何度か会ったのですが、その後学会で会ったとき、ノルウェーの大学で働くことになった、ときいたのが、もう二年ほど前でしょうか。その後、何度もスタヴァンゲルに招待しようとしたのですが、「なぜ明日できることを今日する必要があるのか?」となんでも先送りにする習性のある夫に任せていたため、全く進展がないので、とうとう私がイニシアティブを取り、今回の招待に至ったわけです。
最初にスタヴァンゲルにおいでよ、と招待した頃から彼が行ってみたいと言っていたのがプレイケストーレン。リーセフィヨルドから600メートルほど垂直に上がった崖です。その崖の上が平らになっていて、その姿が司祭が説教する台のようだ、と、「Pulpit Rock」の英語名がついています。スタヴァンゲルエリアでは、一番の観光名所です。もちろん、そのまま崖を登ることはできないのですが、後ろから回っててっぺんに行くことはできます。一応目安は片道2時間のハイク、ということになっていますが、普通の人は1時間半くらいで登れるようです。一週間前に夫がアメリカ人の同僚を連れて行ったときは、まだ雪が少し残っているものの、問題なし、ということで、土曜日に彼とふたりで行く予定になっていました。しかし、そこはノルウェーのこと。どんな天気になるかわかりません。一応天気の様子を見て、あまり激しい雨などだったら中止にしよう、と思っていたのですが、当日はなんと、ぴっかりいい天気!暑くも無く、まさにハイキング日和です。
私はプレイケストーレンに登るのはこれで二度目になります。始めて登ったのは、まだノルウェーに引っ越す前。もう、7年も前になるのでしょうか。そのときは登り切ったものの、けっこうキツかったのを覚えています。また、一緒に行った夫(当時の彼氏)のお母様はすいすい登っていて、さすがノルウェーの人は足腰が強いなあ、と感心したのを覚えています。
夫は娘達を連れて映画を見に行くと言うので、彼らを中心街で降ろし、日本人ふたりはフェリーに乗ってプレイケストーレンの入り口に向かいました。入り口の駐車場に車を止めて、いざ!でも、駐車場の時点ですでに素晴らしい景色。もうこれで満足して帰ろうか、なんていう話も出ましたが、がんばって頂上を目指します。
最初にスタヴァンゲルにおいでよ、と招待した頃から彼が行ってみたいと言っていたのがプレイケストーレン。リーセフィヨルドから600メートルほど垂直に上がった崖です。その崖の上が平らになっていて、その姿が司祭が説教する台のようだ、と、「Pulpit Rock」の英語名がついています。スタヴァンゲルエリアでは、一番の観光名所です。もちろん、そのまま崖を登ることはできないのですが、後ろから回っててっぺんに行くことはできます。一応目安は片道2時間のハイク、ということになっていますが、普通の人は1時間半くらいで登れるようです。一週間前に夫がアメリカ人の同僚を連れて行ったときは、まだ雪が少し残っているものの、問題なし、ということで、土曜日に彼とふたりで行く予定になっていました。しかし、そこはノルウェーのこと。どんな天気になるかわかりません。一応天気の様子を見て、あまり激しい雨などだったら中止にしよう、と思っていたのですが、当日はなんと、ぴっかりいい天気!暑くも無く、まさにハイキング日和です。
私はプレイケストーレンに登るのはこれで二度目になります。始めて登ったのは、まだノルウェーに引っ越す前。もう、7年も前になるのでしょうか。そのときは登り切ったものの、けっこうキツかったのを覚えています。また、一緒に行った夫(当時の彼氏)のお母様はすいすい登っていて、さすがノルウェーの人は足腰が強いなあ、と感心したのを覚えています。
夫は娘達を連れて映画を見に行くと言うので、彼らを中心街で降ろし、日本人ふたりはフェリーに乗ってプレイケストーレンの入り口に向かいました。入り口の駐車場に車を止めて、いざ!でも、駐車場の時点ですでに素晴らしい景色。もうこれで満足して帰ろうか、なんていう話も出ましたが、がんばって頂上を目指します。
| 登り口。この時点ですでにそれなりの高さです。 |
| 2+2t とは、目安として行きに2時間、帰りに2時間みよ、ということ。 |
2012/04/30
博士課程ディフェンス
異様に忙しかった一週間が終わりました。アメリカ人の同僚が帰ったのと入れ替わりに、ノルウェーの大学でリサーチをしている日本人の若い研究者の人が来ていたのです。それに加えて、ノルウェー人の同僚の博士号のディフェンスがあり、さらに娘のバレエの発表会などもあって、本当に忙しかった!書き所盛りだくさんの一週間でしたが、とりあえず今日は博士号のディフェンスの話をしたいと思います。
学校や学部によって様々ですが、博士課程終了時に「ディフェンス」をするのは珍しいことではありません。ディフェンス(防衛)というのは、自分の研究について発表し、それに対してオポーネント(敵)がいろいろ質問し、またその質問に答えて自分の研究をディフェンド(防御)する、という一連の学術的なやりとりのことです。このディフェンスの形式も様々で、私が前に働いていたコロラドでは、ディフェンスは内部でのみ行われていました。つまり、オポーネントも出席者も学部内の人に限られていました。しかし、ノルウェーではこれが外部にも開かれています。オポーネントは二人いるのですが、二人とも学部外から招聘されます。内部で行われるディフェンスの場合、内部でのみ通用するような基準で評価がなされる危険性がありますが、外部評価の場合、国際基準で判定されるということです。また、誰でも出席できるので、学部外の人はもちろん、家族や友人まで来るので、緊張感も倍増です。そういう意味で、ノルウェーのディフェンスはかなりフォーマルです。
さて、ノルウェー人の同僚で、1月からポスドクを始めたばかりの女性がいます。彼女はもともと栄養士として働いていとのですが、博士を取ることに決めて、10歳から12歳くらいの子供の健康な食事習慣について研究していましたが、とうとう先日ディフェンスをしたのです。オポーネントは、その分野では国際的にも名の通っているベルギー人の女性研究者と、同じくその分野でいろいろ論文も出しているノルウェー人の男性研究者のふたり。名前は知っていても、特に面識はないそうで、一体どんな質問をされるのか、全くわかりません。彼女はもう一ヶ月も前から準備して、ずっと緊張しまくっていました。
当日、まずは「トライアル レクチャー」といわれるものから始まります。トライアルレクチャーは、2週間前に与えられた題について、1時間レクチャーするというものです。題は自分の研究内容に関連したものが与えられるようですが、それを一般の人にも分かるように、分かりやすくレクチャーすることになっています。会場のレクチャーホールは、50人ほどの人が彼女のレクチャーをきいていました。学部の人も沢山来ていますが、彼女の家族や友人らしき人たちの姿も見えます。彼女は落ち着いた様子でレクチャーを始め、内容もわかりやすくまとめてあり、とてもよくできたレクチャーでした。このレクチャーのあと、オポーネントと学部内の代表からなるコミティー(委員会?)が、今のレクチャーは博士号取得に値するかどうか審議します。それもかねて、昼食休憩が取られました。
| 右に立っているのが同僚。左はオポーネント。 |
2012/04/24
放課後アクティビティー
月曜日と火曜日。この2日間私たちはちょっとばたばたしています。なぜかというと、上の娘のダンスのレッスンがあるからです。月曜日は6時15分からバレエのレッスンです。そのまま行ったら少し早すぎるので、いったん家に帰って、大急ぎでご飯を食べ、夫か私どちらかが上の娘を連れてスタジオへ。しかもけっもう離れた所にあるので、車で片道20分くらいかかります。火曜日はダンスのレッスンが5時からなので、4時に娘たちを迎えに行って、そのままスタジオへ。下の娘は上の娘のレッスンが終わるのを待っていなければいないので、DVDなどを持参して、暇つぶしができるようにします。
さらに、今週からそこにサッカーの練習が加わりました。上の娘が学校のサッカークラブに参加することになったからです。なので、月曜日はサッカーとバレエ両方の準備をしておかないといけません。
子供の放課後のアクティビティーで走り回る親は私たちだけではもちろんありません。ほとんどの子供がなにかしらのアクティビティーに参加しているようです。近くであるなら勝手に行って帰ってきてくれるのかもしれませんが(近所の子供たちはそうしているようです)、遠い場合はやはり親が送り迎えしなければです。また、アクティビティーによっては(サッカーなど)、週末の度に、今日はどこそこで試合、などど、あちこちに遠征しているようで、親は大変です。
ポピュラーな習い事は、バレエ、ダンス、水泳、サッカー、体操、などのスポーツ系と、ピアノ、ヴァイオリン、演劇、などの芸術系でしょうか。空手やテコンドーなどの武術系も人気です。地域のカルチャースクールでいろいろなクラスを取ることもできますが、なかなか空きがなかったりするので、プライベートのレッスンに行くのも一般的です。娘達のいとこの女の子達(12歳と9歳)はバトンとハンドボールをやっていて、バトンの方は地区大会で入賞するほどの腕前です。
ところで、夫は娘にテニスの英才教育を受けさせたいと思った時期があったのですが、それはノルウェーに引っ越した時点で無理となりました。なぜかというと、カリフォルニアのようにタダでいつでも使えるテニスコートがあまりないのです。また天気も悪いので、いつも練習しようと思ったら高い会費を払ってテニスクラブのメンバーになり、高い使用料を払ってテニスコートを使うことになります。アンドレ・アガシは子供の頃から毎日何千球だかのボールを打ち込んでいたそうですが、そんなことをしていたらえらい出費です。まあ、そんな小さいことを気にしていたら、天才なんて育てられないのでしょうが。
さらに、今週からそこにサッカーの練習が加わりました。上の娘が学校のサッカークラブに参加することになったからです。なので、月曜日はサッカーとバレエ両方の準備をしておかないといけません。
子供の放課後のアクティビティーで走り回る親は私たちだけではもちろんありません。ほとんどの子供がなにかしらのアクティビティーに参加しているようです。近くであるなら勝手に行って帰ってきてくれるのかもしれませんが(近所の子供たちはそうしているようです)、遠い場合はやはり親が送り迎えしなければです。また、アクティビティーによっては(サッカーなど)、週末の度に、今日はどこそこで試合、などど、あちこちに遠征しているようで、親は大変です。
ポピュラーな習い事は、バレエ、ダンス、水泳、サッカー、体操、などのスポーツ系と、ピアノ、ヴァイオリン、演劇、などの芸術系でしょうか。空手やテコンドーなどの武術系も人気です。地域のカルチャースクールでいろいろなクラスを取ることもできますが、なかなか空きがなかったりするので、プライベートのレッスンに行くのも一般的です。娘達のいとこの女の子達(12歳と9歳)はバトンとハンドボールをやっていて、バトンの方は地区大会で入賞するほどの腕前です。
ところで、夫は娘にテニスの英才教育を受けさせたいと思った時期があったのですが、それはノルウェーに引っ越した時点で無理となりました。なぜかというと、カリフォルニアのようにタダでいつでも使えるテニスコートがあまりないのです。また天気も悪いので、いつも練習しようと思ったら高い会費を払ってテニスクラブのメンバーになり、高い使用料を払ってテニスコートを使うことになります。アンドレ・アガシは子供の頃から毎日何千球だかのボールを打ち込んでいたそうですが、そんなことをしていたらえらい出費です。まあ、そんな小さいことを気にしていたら、天才なんて育てられないのでしょうが。
2012/04/22
「縁」って不思議
若い頃はあまり「縁」などどいうものについて考えていませんでしたが、年を取るにつれ(!)、「縁」って面白いな、と思うようになりました。なにしろ、私の人生、様々な縁によって今まできたような気がします。その時々の、周りの人のちょっとした一言でぽろっと人生が変わってゆくにつれて、「出会い」って大切だなあ、とつくづく思うのです。
まず、高校時代、留学したいと思っていたときに、それまで会ったこともなかった、カナダに住んでいてイギリス人と結婚していた遠い親戚のおばさんに会うことができ、彼女の、「アメリカの大学に行きたかったら、生半可に語学留学などせず、まずは日本でTOEFL(留学生用の英語のテスト)の点数を上げることが先決」という言葉を胸にTOEFLなど英語テスト専門の学校に10ヶ月通い、おかげでTOEFLの点数だけ見たらアメリカの大学院に入学できるレベルまで上がりました。
大学選びでは、いくつか受かった大学の中で、「ワシントン大学がいいよ!シアトルは素晴らしいところだ!」と言ったのは、シアトル出身の英語学校の先生。あまり深く考えずに「そっか」とワシントン大学に行くことにしたのですが、確かにシアトルはとっても住みやすく、大学もよい学校でした。始めての海外旅行が大学留学、という、今思えばかなり無茶な行動ですが、特に問題も無く、周りの人に助けられながらなんとか生活も軌道にのっていったのも、様々な「縁」に支えられていたのだなぁ、と思います。
そして大学4年のとき取った環境経済のクラスが面白く、そのまま環境経済を勉強しに大学院に行きたい、と思っていたとき、その環境経済のクラスを教えていた教授が、「それだったら経済学部ではなく農業資源経済学部に行くといいよ。特にいい大学はカリフォルニア大学のバークレーとデイビスかな」と教えてくれ、早速願書を提出しようと思ったら、バークレーの願書締め切りはとっくに過ぎていたので、デイビスに願書を出したところ、統計学の学位を取っていたのが功を奏して奨学金付きで入学決定!そして、同じ年に入学してクラスメートだったのが今の夫。そして、彼と気が会った原因のひとつは、彼もデイビスに来る前はシアトルに住んでいたことと、そして、シアトルに住んでいた人らしく、彼も私と同じエスプレッソ好きであったことです。それがきっかけとなって結婚までしちゃったわけですから、それを思えば、シアトルからデイビスという選択が、私のその先の人生に大きく影響したわけです。
まず、高校時代、留学したいと思っていたときに、それまで会ったこともなかった、カナダに住んでいてイギリス人と結婚していた遠い親戚のおばさんに会うことができ、彼女の、「アメリカの大学に行きたかったら、生半可に語学留学などせず、まずは日本でTOEFL(留学生用の英語のテスト)の点数を上げることが先決」という言葉を胸にTOEFLなど英語テスト専門の学校に10ヶ月通い、おかげでTOEFLの点数だけ見たらアメリカの大学院に入学できるレベルまで上がりました。
大学選びでは、いくつか受かった大学の中で、「ワシントン大学がいいよ!シアトルは素晴らしいところだ!」と言ったのは、シアトル出身の英語学校の先生。あまり深く考えずに「そっか」とワシントン大学に行くことにしたのですが、確かにシアトルはとっても住みやすく、大学もよい学校でした。始めての海外旅行が大学留学、という、今思えばかなり無茶な行動ですが、特に問題も無く、周りの人に助けられながらなんとか生活も軌道にのっていったのも、様々な「縁」に支えられていたのだなぁ、と思います。
そして大学4年のとき取った環境経済のクラスが面白く、そのまま環境経済を勉強しに大学院に行きたい、と思っていたとき、その環境経済のクラスを教えていた教授が、「それだったら経済学部ではなく農業資源経済学部に行くといいよ。特にいい大学はカリフォルニア大学のバークレーとデイビスかな」と教えてくれ、早速願書を提出しようと思ったら、バークレーの願書締め切りはとっくに過ぎていたので、デイビスに願書を出したところ、統計学の学位を取っていたのが功を奏して奨学金付きで入学決定!そして、同じ年に入学してクラスメートだったのが今の夫。そして、彼と気が会った原因のひとつは、彼もデイビスに来る前はシアトルに住んでいたことと、そして、シアトルに住んでいた人らしく、彼も私と同じエスプレッソ好きであったことです。それがきっかけとなって結婚までしちゃったわけですから、それを思えば、シアトルからデイビスという選択が、私のその先の人生に大きく影響したわけです。
2012/04/19
数学食べず嫌い?
大学では経済学、特に計量経済学を教えている私ですが、計量経済学というのは経済学の問題を分析するために発展した統計学のことです。統計学はもちろん数学をたくさん使います。自分が今そのような学問を大学院生に教えている、という事実を鑑みると、私はまったく驚いてしまいます。なぜなら、私は小学校から高校を卒業するまで、数学が得意であったためしがないのです。得意だった教科は英語、国語、社会などで、理科はそこそこ、そして数学はいつもぱっとしない成績でした。なので、高校では迷うことなく文系のコースを選び、できるだけ数学から離れるように努力していました。微分・積分なんて、一体将来どんな役に立つというのか、と半ば怒りながら数学の授業を取っていたものでした。特に、私は国際公務員になるのが夢で、開発学を勉強したいと思っていたので、数学なんて人生に必要ないわ、と思っていたのです。
それが、どこをどうやって今に至ったのか。きっかけはやはり留学したことです。アメリカの大学で、アメリカ人に混じって勉強する。たとえ日本では英語が得意であったとしても、それまでの人生英語のみで生きてきたアメリカ人と比べたらそんなものは全く役にたちません。そして、忘れもしない、始めて取った国際関係論の授業で、いきなり必須の本が7冊。レポート5本。日本語でも大変なのに、英語でなんて、今まで英語の本を一冊読みきったこともない私には、どう考えてもムリ。結局そのクラスを取るのも、国際関係学を勉強するのも諦めました。
そこで、私は考えました。どうやったらアメリカ人と対等に渡り合えるのか。英語ではどう考えても勝ち目はない。そこで思い至ったのが、数学。数字の言語は万国共通。数学だったらなんとかなるかも。これは、今思い返せば、私の人生を180度変えることになった思いつきでした。日本にいたときは苦手だった数学ですが、そうはいっても数学のレベルの高い(はずの)日本の高校を出たのだから、その辺のアメリカ人よりはできるだろう。そう思って、数学のクラスを取り始めたのです。そうしたら案の定、大学の数学のクラスで、日本の高校、下手したら中学レベルの問題が出てくるではないですか。なので、問題さえ理解できれば、解くのは楽勝!そうやって数学のクラスを取って行く中で出会ったのが統計学です。そして、標準分布の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった私は、そのまま統計学の学位を取ることにして、ついでに経済学の学位も取っちゃいました。そうして現在の私につながっていくわけです。
それが、どこをどうやって今に至ったのか。きっかけはやはり留学したことです。アメリカの大学で、アメリカ人に混じって勉強する。たとえ日本では英語が得意であったとしても、それまでの人生英語のみで生きてきたアメリカ人と比べたらそんなものは全く役にたちません。そして、忘れもしない、始めて取った国際関係論の授業で、いきなり必須の本が7冊。レポート5本。日本語でも大変なのに、英語でなんて、今まで英語の本を一冊読みきったこともない私には、どう考えてもムリ。結局そのクラスを取るのも、国際関係学を勉強するのも諦めました。
そこで、私は考えました。どうやったらアメリカ人と対等に渡り合えるのか。英語ではどう考えても勝ち目はない。そこで思い至ったのが、数学。数字の言語は万国共通。数学だったらなんとかなるかも。これは、今思い返せば、私の人生を180度変えることになった思いつきでした。日本にいたときは苦手だった数学ですが、そうはいっても数学のレベルの高い(はずの)日本の高校を出たのだから、その辺のアメリカ人よりはできるだろう。そう思って、数学のクラスを取り始めたのです。そうしたら案の定、大学の数学のクラスで、日本の高校、下手したら中学レベルの問題が出てくるではないですか。なので、問題さえ理解できれば、解くのは楽勝!そうやって数学のクラスを取って行く中で出会ったのが統計学です。そして、標準分布の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった私は、そのまま統計学の学位を取ることにして、ついでに経済学の学位も取っちゃいました。そうして現在の私につながっていくわけです。
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