2012/10/04

イタリア職員旅行で不便と迷惑について考える

先週の土曜日から3泊4日で職員旅行に行って来ました。行き先は北イタリアのコモ湖。世界が不況で大変なのにこんな優雅な職員旅行をしていていいのか、とも少し思いますが、一応セミナーなども盛り込まれて「仕事兼」の様相を(辛うじて)呈しているのと、今学期クラスをふたつ教えているため、普段のランチに参加できず、今学部でいったい何が起こっているのか、情報がなかなか入ってこないので、アップデートの意味も込めて参加してきました。学部の職員は、教授陣だけでなく博士課程の学生や事務の人も含めて、基本的に全員参加です。しかし、もちろんウチは同じ職場で共働きのため二人一緒に参加するわけにはいきません。誰かが子供の面倒をみなければいけません。夫の両親も仕事があるので、任せていくわけにもいきません。去年の職員旅行は私が参加してアイスランドに行ってきたのですが、今回はなにしろイタリア。是非行きたい!でも、これはさすがに交渉が必要か、と思っていたら、夫はあっさり「君行ってきていいよ」とのことなので、好意は素直に受け取ることにして、いざイタリアへ!

朝6時のフライトだったので、朝は3時半起き。眠い目をこすりながら5時前に空港に到着してびっくりしたのは、2週間前に女の子を出産したばかりの同僚(博士課程の学生ですが)の姿が!彼女はイタリア旅行をとても楽しみにしていながら、出産と重なる時期のため、泣く泣く参加を諦めた、と思っていたのですが、なんと強行参加のようです。ベビービョルンに赤ちゃんを収めて、もちろんノルウェー仕様のベビーカーも持参です。

コモ湖のクルーズもベビーカーで乗り込みます。
手前に見えるのがノルウェー仕様のベビーカー。


日本では授乳は人から見えないところでするのがエチケットのようですが、ノルウェーでは街中だろうと、どこだろうと授乳OKです。また、日本だと、外で授乳する場合、布のようなもので赤ちゃんごと胸全体を覆って行うのを何度も見かけましたが、ノルウェーではそもそも「隠す」という感覚があまりないようです。だからといっておおっぴらに胸を出して授乳するわけではありませんが、みんな上手にさりげなく授乳していて、ちょっと見たくらいでは授乳しているとは分かりません。同僚の彼女は、これでもう三人目の子供。授乳も手馴れたもので、学部のみんなとレストランでディナーなど食べているテーブルで、「あら、この子お腹すいてるみたい」と、さらっと授乳。



ところで、ノルウェー仕様のベビーカーはけっこう重いし、なにしろ大きい!小回りもききにくく、これを伴っての旅行は大変ですが、周りも彼女を助けて、博士課程の学生の男の子たちなどが、必要ならベビーカーを持ってあげたりしていました。なので、少し時間がかかりながらも、彼女は旅行の日程も、他の人と同じようにこなしていました。ひとつだけうまくいかなかったのは、ミラノ観光での路面電車。私たちはちょうどショッピングを終えて、ランチを食べる予定のレストランに向かうところでしたが、その際にベビーカーが入り口から入らない、というアクシデントが。入り口自体はそんなに狭くはないのですが、ちょうど真ん中に手すりがついていて、ベビーカーがその手すりにぶつかってしまって中に入れなかったのですね。ノルウェーだったらみんなベビーカーで移動するので、バスや電車はちゃんとベビーカーで乗り込めるようになっているのですが、イタリアのベビーカーはノルウェーのより小さいようです。結局彼女は路面電車には乗れず、ちょっと遅れて徒歩で到着しました。

彼女はその後、赤ちゃんともども無事帰国しました。出産後2週間で職員旅行に新生児連れで来る彼女もすごいですが、それを認めた職場もすごいと思います。新生児をそのような旅行に連れて行くのは賛否分かれるところではあると思いますし、実際彼女はある意味、職場の同僚に随分「迷惑」をかけたのではないかと思います。ただ、この「迷惑」というのは日本的な感覚で、この場合より正しいのは「迷惑」というより「不便」、「Trouble」よりは「Inconvenience」ではないかと思います。どう違うかといわれると、ちょっと説明しにくいのですが、「迷惑」だと、よりネガティブな感情が強調されるような。そして、迷惑だと、その負の感情の矛先が特定の誰かに向けられるのに対して、不便だと対象がもっとジェネラルな気がします。あくまでも私の感覚では、ということで、辞書で確かめたわけではありませんが。

子供というのは、持ってみるとわかりますが、不便のカタマリみたいなものです。子供がいると、何をするにも何倍も時間も労力もかかります。子供がいなかったときに当たり前にしていたこと(仕事をするとか外食するとか映画に行くとか)が、子供連れだとあまりに不便なために不可能になってしまいます。そして、子供はもちろん直接的には親の責任ですが、社会全体でその不便を共有し、分け合っていくのは大切だと思うのです。

それで、先日朝日新聞で読んだ記事を思い出しました。電車内のベビーカーの利用に理解を求めるポスターに批判がよせられている、というものです(リンクはこちら)。これも、ベビーカーを「迷惑」と感じるか、「不便」と感じるか、というところで違いがでるのではないでしょうか。子供とは不便なものであり、それを社会全体で受け入れていくのだから、仕方がない、と思うか、自分の自由や権利への侵害であり、迷惑である、と思うか。もちろん、親側の「できるだけ不便や迷惑をかけないように」という心がけも大切であるとは思いますが。

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