2013/10/06

幸福って何?

「幸福って何?」なんだか青い鳥を探し求めているみたいですが、私は「幸福」とは何なのか、よく考えるのです。特にノルウェーに住んで、ノルウェーの不便さや物価の高さの裏には、ノルウェーなりの「幸福とは?」という問いへの答えがあるということに気付いてから、より幸福について考察するようになりました。

日本でも「幸福度」という言葉を耳にするようになりました。GDPなどに代表される経済成長を追い求めることが、必ずしも人を幸福にするとはかぎらないのではないか、という視点に立って、「幸福の向上」をひとつの指標にしていこう、という動きもあります。これは特に経済発展を成し遂げて、それなりの生活水準を手に入れた国の人たちが、「これからは、もっと量より質を重視した生活(クオリティー オブ ライフ)を送っていきたい」という気持ちのシフトが大きいかとも思いますが(ブータンは例外として)、ノルウェーはこの幸福度が先進国の中でも高いことで知られています。一方日本は先進国中でも幸福度が低い、という指摘がなされています。では、日本人は不幸なのか、といえば、「幸福度」とはそんなに簡単に比較できるものではないようです。「幸福」とは抽象的な概念であり、取り出して重さや長さを量れる類のものではありません。そして、まったく主観に基づいているため、傍から見てたいへん恵まれていると思っても本人は不幸である場合もあれば、反対に周りから見てどう考えても不幸だろう、というような人だって、本人は幸福であることだってあるわけです。また、そのときの気分にも左右されるので、日によって、または一日の中でも時間によって「幸福度」はくるくる変わったりします。

また、文化によっても幸福の捉え方はちがうようです。夏に日本に帰ったときにお会いした京都大学の研究者の方(幸福度の研究をされています)によると、日本人は、10点満点中、理想の幸福度は8点くらいなのだそう。日本人は、自分が10点満点幸福であると、例えばその後は下る一方であると怖くなったり、また、そこまで満足してしまうと、自分が驕ってしまったり、その後成長しなかったりする、という風に考える性質があるそうです。そうすると、10点満点中10点が理想と考える欧米人と比べて日本人の幸福度が低いのは単に文化的な違いによるところもあり、日本人がより不幸であるとは一概にはいえないことになります。


そういう意味で、幸福度とは、量ったり比べたりするのがたいへん難しいのです。そして、今色々な学者や研究者のあいだで、どのようにして幸福をはかるべきか、そして、量った度量はどのような時に有効に使用できるのか、という研究がなされているのです。もしろん、それ自体面白い研究課題ですが、私には少し心理学的すぎるトピックであり、経済学者としては、やはり政策と幸福度のあいだの関係に興味がいきます。そして、それに関連してたいへんおもしろい論文を読んだのです。題名は「女性の幸福度低下のパラドックス」。アメリカの経済学誌に2009年に掲載された論文ですが、内容は、アメリカではこの35年ほどの間に女性の社会進出が進み、様々な客観的な観点では女性の地位は向上した、にもかかわらず、女性の「幸福度」は、絶対的にも、男性との比較においても低下している、というものです。また、この現象はアメリカのみにあらず、ヨーロッパでも似たような状況である、といいます(ノルウェーはデータ不足のためこの研究には入っていません)。 

この結果は、びっくりといえばびっくりですが、女性にとっては、「やっぱりね」という気持ちもあるのではないでしょうか。この30年ほどの間に、女性は男性と同等の教育を受けるようになり、専業主婦から社会へ出て働くようになったわけですが、家事や育児などの家庭内労働は、いまだに女性の方が主な担い手です。つまり、女性は家庭内労働をしていればよかった時代から、家庭内労働と市場労働の両方をこなさなければならない時代に入ってしまった。また、昔は幸福度の目安も、自分と同じように家庭内労働をしている女性と比べればよかったのが、今では周りの女性だけではなく、職場の男性同僚もまた、自分の比較対象内に入ってきた。女性の生き方も多様化しているので、女性は常に自分にないものを持っている同姓の存在を意識しなければならない。実際、「全てを手に入れた」と思われる、家庭もキャリアも手に入れた大卒女性の方が、同じ大卒女性でも専業主婦をしている女性より幸福度が低いという研究結果も出ています。

しかし、ここで「では、女性は専業主婦をしていれば幸せなのではないか」となってしまうのは短絡的ですし、この辺にも「幸福度」を政策の指標にすることへの限界が感じられます。例えば子供のいる家庭の方が子供のいない家庭より幸福度が低いという研究結果もありますが、では、子供は持たないほうがいいのか、という問題ではないことは明白です。子供の世話をするのは大変なので、特に子供が小さい頃は、親のその時点での日々の幸福度は低いかもしれません。しかし、子供が大きくなるにつれての満足度や子供が成長したときの達成感や充足感は、日々の低めの幸福度を補って余りあるものであるという研究結果もでています。そして、もちろん、みんなが、「子供を持つと幸福度が減るらしいから、持たないようにしよう」と思ってしまったら、人類は全滅してしまいます。

仕事も家庭も、という女性も、あまりの忙しさに、日々の幸福感は薄めかもしれませんが、仕事も家庭もこなしているという充足感や仕事を持つことで生まれる経済的自立感、社会に貢献しているのだという満足感など、幸福度とは違った満足を得ているのかもしれません。「幸福度」が実際どのくらい政策の指標として役立つのかはまだ議論が分かれるところだと思いますが、方向としては決して間違っていないと思います。

日本の幸福度はこの先上がるのか?数字の上では幸福度の高いノルウェーから学べるところはあるのか?これからもっと考えていきたいテーマです。

5 件のコメント:

  1. はじめまして、Yukoさん。
    この夏、北欧4カ国を旅しました。
    ノルウェーはスタヴァンゲルに滞在しました
    kotokotoと申します。



    このテーマは非常に興味深く、個人的にもYukoさんと同じく、
    もっと考えていきたいテーマです。

    文化的背景が、幸福度の点数をつけるのにも違いが出る。というのも
    とても面白く、「なるほど~」と思いました。
    日本人が10点満点中、8をつけるのは、そのような理由とあと、
    満点をあまり付けたがらない日本人的気質もあるように思います。

    いつも自分の点数は、下につけるといいますか。



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  2. いつも思うんですけど、女性が社会進出したならばその分男性も家庭進出していくべきなんじゃないでしょうか

    仕事をしているのに家事育児も全部女性ならそりゃ幸せなんて感じられないと思います(疲れちゃいますよね)
    同じように仕事をしているのだから男性も家事育児を分担していかなければいつまでたっても変わらないよなあ、と思います
    男性にだって家事育児できるわけですしね

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    1. 全く同感です。男性、女性両方の働き方と意識とを変えていかないとだと思います。ノルウェーに住んでいると、日本に帰るたびに、「家事・育児は女の仕事」という固定観念にびっくりしてしまいますが、男性だけでなく女性もそう思っているようなのが、なおさらびっくりです。

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  3. 初めまして。去年までソーラ空港の近所のSolaVgsに1年間留学していた高校生です。このブログを見つけて、書いていらっしゃる方がスタヴァンゲル在住とのことで、なんだかとても嬉しいです!
    ノルウェー滞在中には様々な新しい女性像や価値観に触れました。シングルマザーで、子育てに仕事に恋に趣味のバンドに、さらには「人の役に立っている実感が欲しい」と始めた私のホストに大忙しのホストマザーとの会話なかでもその価値観や理想像に学ぶことが多かったです。

    滞在してノルウェーはただの「幸せの国」ではないということがわかりました。不便さや社会問題を抱えながらも、ノルウェーの幸福度が高いのはある意味ノルウェー人の世界が狭いからなのかもしれないと思ったこともあります。
    私の周囲のノルウェー人の大人は「ノルウェーが豊かで幸せでいい国である」ということに信念を持っているようでした。「だからこそ、貧しい国("fattige land"という直接的な表現をよく耳にしました)に施すのは私たちの義務なのだ」というプライドがあるような気がします。
    他の記事に移民女性の話がありましたが、学校での移民クラスの扱われ方や、人権デーの授業でのクラスメイトの発言、大人たちの話から、ノルウェー人の中ではアフリカやアジアは発展していない貧しいかわいそうな国で、アジアの大都市は人が密集していて居住環境が悪く公害に囲まれて暮らしている、それはかわいそうな遠い国の現状だというイメージが強いと感じました。一方欧米、「アメリカナイズ」が広まっていると教科書などで読みましたが、特にアメリカに対してはあこがれが強く、ステレオタイプがあるのかなと思います。
    こういった他国についての偏見はどこの国にもあるものだとは思いますが、特にノルウェーではかなり狭い多様性のバブルの中から外の世界を見ているような気がします。確かにノルウェーでは生活に不自由することは少ないでしょうし、失業率1%以下のローガランでは貧しいノルウェー人を見かけることはほとんどありませんでしたが、それ以上のクオリティオブライフはどうでしょう。東京で育った私には少し物足りない、刺激の少ない毎日な気がします。
    もちろんその素朴さや一体感はノルウェーが国として社会福祉を隅々まで行き渡らせたり、余裕のある穏やかなノルウェー人の気質を作ったりいい面も作り出していると思います。

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    1. 返信が遅くなってしまって、ごめんなさい!Solaにいらしたんですね。もしかして、Solaのビーチあたりですれ違ったことがあったりして。

      確かに東京に比べるとノルウェー(特にスタヴァンゲル)は刺激も多様性もなく、平和なバブルの中、という形容は言いえて妙だと思います。でも、例えばアメリカでも、大都市を除いた「広大な田舎」の中では似たようなものかもしれません。

      これから世界でますます都市化が進んでいくようですが、東京が世界の中でも魅力的な都市として発展していくのは大切だと思いますし、大都市にしか提供できないアメニティーというのは沢山あります。ノルウェーは、国民の土着意識の強さからなのか、政策や経済活動によるものか、他の国に比べて都市への一極集中が進んでいないように思います。もともと小さい国なので、地方都市となると、本当に小さくて、何もないわけですが、私はそういう多様性も大切だと思っています。

      高校生でノルウェーという、アメリカとはまた違った文化や価値観に触れたあなた(ごめんなさい、匿名なので)の今後の活躍に期待しています!

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