2013/04/08

公共助け合い精神

ノルウェーで耳にする言葉にDugnadというものがあります。英語だとボランティアと訳されていましたが、つまりは個人がコミュニティーのために労働する、というのが一般的な解釈であるかと思います。日本でいえば、例えば町内会で川原の草取りやごみひろいをする、とかがノルウェーではDugnadとよばれるのではないでしょうか。しかし、このDugnadはどうやらもっと広い意味でも使われているようです。

例えば、私の職場には、みんなでランチを食べたり、コーヒーを飲みながら、だべったりする用のちょっとしたエリアがあります。そこには小さいキッチンもついていて、さすがに料理用のコンロなどはありませんが、コーヒーマシーンや電子レンジ、冷蔵庫もついています。また、食器もいろいろ揃っていて、コーヒーマグやエスプレッソ用のカップ、グラス、お皿などがキャビネットに収まり(食器がFiggyo製なのはやっぱりノルウェーです)、引き出しには沢山のカトラリーも入っています。ノルウェー人は一日に何杯もコーヒーを飲むので、毎日沢山のコーヒーマグが使われます。これらの使われた食器は、各自が食洗機に入れます。さて、このエリアはもちろんみんなで使う公共の場であるわけで、その分明確に誰かの責任下にあるわけではありません。そうすると、誰がいっぱいになった食洗機に洗剤を放り込んで始動させるのか。誰がきれいになった食器をキャビネットに戻すのか。誰がキッチンカウンターにこぼれている砂糖をきれいにするのか。これらは、Dugnadの精神の基づいて、ボランティアベースで気付いた人がすることになっています。偉い人はしない、などどいうことは起こりません。ノルウェー人はDugnadの前には全員平等であると信じているからです。私は学部長自ら、きれいになった食器を黙々と棚に戻すのを目撃しています。しかも何度も。そして、白状すると、私はまだ一回もやってません!


別の例をあげると、レンタルのキャビン。これもDugnadの精神に基づいていて、使った後キャビンをきれいにするのは使った人ということになっています。キャビンには必要最低限のものは揃っていますが、やはりスーパーに日用品を買出しに行かないといけません。そして、洗剤やキャンドルやトイレットペーパーなど、余ってしまった物はそのままキャビンに残して行きます。そうして、次の人に使ってもらうのです。自分たちも同じように、そうやって前の人が残していってくれた物の恩恵に与っているのです。


なぜDugnadについて考えているのかというと、娘のバレエのクラス(放課後英国学校の構内で、ノルウェーでダンススタジオを経営しているカナダ人の先生が出張授業をしてくれているのです)発表会が6月にあるのですが、そのコスチューム作成についてのごたごたがあったからです。このコスチューム、基本的に親が用意することになっているのですが、指示がやたらと細かく、わりと面倒くさい手順が必要な作業であったのです。下の娘の方は、それでも、ボール紙に大きい星を書いて黄色く塗る(それを背中に背負って踊るようです)、という作業だったのですが、上の娘の場合は、白と黒のシーツをミシンで縫い合わせて、さらに頭と手足を出す穴をつくり、最終的にペンギンに見えように作る、というもの。そのような難題をふりかけられ、親たちはパニック状態です。結局星は友人に作ってもらい、ペンギンの衣装はまとめてネットで購入する(費用は個人もち)ということになりましたが、これらの衣装、ひとりひとりが別々にやったのでは、あまりにも効率が悪い!規模の経済、という概念がありますが、こういう作業は、まとめてやった方が費用も時間も少なくて済むものです。スタジオの方で星もペンギンも用意してもらえるならば、親たちは喜んで費用を出すと思います。しかし、夫いわく、これはDugnadの精神に関連していて、金で解決すれば済む、というものではない、という考えがノルウェーにはあるようです。つまり、発表会はみんなでつくるものだ、という考えがあって、それで親に衣装の準備のリクエストがきたのかもしれません。ノルウェー人の親なら、そういう共通の概念があって、リクエストにも「了解しました」と答えるのかもしれませんが、英国学校に通う子供の親たち相手には、Dugnadの精神は通用しなかったようです。

そういえば、娘が日本の幼稚園に通い始めたとき、あまりに準備するものがたくさんあってびっくりしたのを覚えています。(正確には、私の母親が準備してくれた幼稚園に持っていく持ち物があまりにたくさんあってびっくりした、です。)そして、持って行くものに細かく指示があたえられていて、例えば歯磨き用のコップを入れる袋はこれこれの大きさで、白い布を縫い付けて大きく名前を書いてください、とか、お昼寝用の布団は布団袋に入れて、そこにも白い布を縫い付けて名前を書いてください、とか。指示のプリントを読みながら、「娘がフルタイムで日本の幼稚園や学校に通っていなくて、本当によかった」と思わずにはいられませんでした。いえ、日本の幼稚園や学校に不満があるわけではないのですが、そういった作業が得意でない私は、これらのこと細かな指示は、読むだけで、あまりの面倒くささにめまいがしてしまいます。そして、それらを母親(母親でなくてもよいのですが、これらの作業は基本的に母親に回ってくるのではないでしょうか)ひとりひとりにやってもらうのは、随分と効率が悪いのでは?

比較優位という概念があります。今は不況もあって、グローバリゼーションとか効率の改善などが非人間的ととらえられる風潮もあるかもしれませんが、例えば子供の体育着の名札の白い布をつけるのに、10人の母親が個人個人でやるよりも、ひとりのすごく上手でそういう作業が得意で、さらに設備投資もなされている(例えばプロ仕様のミシンを持っているとか)人にみんなの分をやってもらった方が、時間も資源も少なくてすむのではないでしょうか。もちろんその人には正当な賃金が支払われます。人には得手不得手というものがありますし、好き嫌いもあります。個人が得意な分野で不得意な人をサポートし、そうやって持ちつ持たれつでやっていくのが社会というものではないでしょうか。もちろん、需要があるところに市場は生まれるわけで、母親たちの間でそういった取引はきっとすでに行われていると思いますが(私は母にそれらの作業を一任し、そういう作業がやはりあまり得意でない母は、自分ではできない作業は自分の義理の姉にアウトソースしていました)、もっと思い切った形でできないのでしょうか。例えば、いっそ全て業者に一任してしまうとか。親は幼稚園や学校から、すでに名前用の布のついた体育着やコップを入れる袋を購入する。親は名前を記入するのみ。だめ?

これらの作業を負担と思うか、参加と思うか。時間に追われる現代の親たちには、難しいところです。

4 件のコメント:

  1. チョコミント2013/04/12 16:57

    初めまして。日本在住の30代女性です。
    育児休暇について検索していてたどり着き、ブログのファンになりました。
    今回の記事、非常に共感しました。
    今月から子どもを保育園に入れたのですが、幼稚園と同様、準備が大変でなぜアウトソースしないのか強く疑問に思いました。
    でも、結果、用意してみたら、手をかけた分だけ愛着がわき、大事に使おうと思うようになりました。
    もしかしたら、これが狙いだったのかも?!記事にある『参加』ということでしょうか。
    こんな流れで、毎年母親のストレスはあれど、結果としてアウトソースされないのかなと思いました。
    これからも記事を楽しみにしています!

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    1. なるほど!そういった狙いもあったんですね。
      あとは、今のうちに必要な設備投資とスキルの習得をしておきなさい、という親心なのかもしれません。この先、ボタン付けやズボンの裾のまつり縫いなどを頻繁にしなければいけなくなるのだから、アウトソースなどと寝ぼけたことを言っていないで、それくらい自前でできないとだめですよ、ということでしょうか。

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  2. こんにちは。いつも読み逃げさせていただいてますwww
    母の手作り幼稚園グッズ、私も子どもの入園時にいろいろ作りました。私は専業主婦なので特に時間がないこともなかったのですが、下に赤ちゃんがいたのと、お裁縫が得意でないこともあり、率直に言うと『面倒くさい・・・』と思いました。
    説明の時に『お母様の愛情がこもった手作りのものがお子さんも嬉しいと思います』と言われてやや引きましたが、お裁縫が苦手でなければそういう愛情表現もありだと思いますが、不得意な人が四苦八苦しながらすぐに壊れてしまうようなものを作るより、その時間本を読み聞かせたり、一緒に遊んだりして愛情を表現するのも変わらないのではないでしょうか。苦手な人のための『手作り風の幼稚園グッズをつくるサービス』とかもあって、なんだろうな・・・と思うことも。子どもも男の子だからかもしれませんが、特にお母さんが作ってくれたから的な愛着はなかったと思います。
    選択肢を与えてくれて、各自が自分に合った参加ができれば一番いいと思います。

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  3. こんばんは。私は40代独身の会社員です。
    職場のノルウェー人を見ているとDugnad の精神を持っているのが分かりました。
     後の人のことを考えて、気持ちよく使えるようにする。なぜならここは公共の場だから。
    というのが彼のよく言う言葉で、会社の小さなキッチンを掃除することが多い人の1人です。
    今まで何となく、掃除をさせられていた女性社員は結構喜んでいましたけど、あれは国民性
    だったのですね。
    余裕のない人には出来ないすばらしい精神だと思います。
    Yukoさんのブログで書かれていたカナダ人の先生が何を意図していたかは分かりませんが、
    ノルウェーであれば、自然にその中で役割分担が出来るのだとしたら、日本以上にチームワーク
    が良いですね。
     
     

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