2016/09/18

アジア以外に住むアジア人の微妙で複雑な心境

ずいぶん前の話になってしまいましたが、友人がフェイスブックにリンクを貼っていたのは、ビミョーな人種差別についての記事(リンク(英語))。それは、アジア系アメリカ人である「私」が白人の夫と子供たちとともに夫の実家でクリスマスのディナーを食べているときに、親戚のおばさんに「あなたは、あのテレビ番組に出ているXXにそっくりね」とコメントされ、「私とXXとが似ている点は私もXXもアジア人女性であるということのみだ。白人はアジア人の見分けがつかないとはいえ、全員ひとくくりにしてしまう。これはそこはかとない人種差別だ」と憤りますが、それを親戚のおばさんにぶつけることができません。「私はこんなにいやな目にあっているというのに、それを大事ととらえているのは私ひとりだけのようだ。なぜほかの人は、これが人種差別とは思わないのか。なぜ夫は助け舟を出してくれないのか」と複雑な心境を語ります。そして、「この親戚のおばさんにはまったく悪意がない、ということは明白だ。この人は私を嫌な気持ちにするためにこのような間抜けなコメントを発したわけではない。この人は、そういったコメントは相手の気持ちを傷つける、という想像力がまったく働いていないのだ。」と分析します。

友人は、日本人、つまりアジア人としてアメリカに住み、アメリカの大学でパワフルに活躍している人です。しかし、アメリカのアカデミックの世界ではアジア人はあくまでマイノリティー。とくにアジア人の女性は全体として数は少ないと思います。そして、アジア女性であるがゆえに、アジア女性のステレオタイプ(例えば従順でおとなしく、与えられた仕事を黙々とこなす、というような)を押し付けられているところがあると見ています。しかし、従順でおとなしくて仕事を黙々とこなすような人ではアメリカのアカデミックの世界ではやっていけません。そうすると、そのギャップから、普通の男性教員がやっているようなことをしても、「イヤな女!」ととられてしまったりすることがあるようです。

私が、アメリカに住んでいるときに自分で見ていて居心地の悪い思いをしたのは、初めて会った人に出身地をきくときです。アジア人はアジアに住んでいると皆が思っているのか、アジア系アメリカ人の私の友達にも「君はどこの国の出身なの?」ときくのです。私は本当に外国人なので、別にそうきかれても「日本です」と答えるだけですが、アジア系アメリカ人の人は行く先々で、自分はアメリカ人である旨を説明しなければなりません。生涯アメリカに住んでいるのに、それをいちいち説明するのはよっぽどイラつく体験なのではないかと昔から思っていたのですが、そうしたら先述の友人がこYouTubeのリンクをシェアしてくれました(こちら)。英語の会話なのですが、アジア人の女性がジョギング中に白人男性に話しかけられる(ナンパされる?)シーンで、彼は「君はどこの出身?君の英語はすっごく上手だね!」ときいてきます。彼女はまたか、というイラついた表情で「サンディエゴ。サンディエゴでは皆英語で話すから。」と切り返します。すると、相手の男性は、「じゃあその前は?」と相変わらず聞いてきます。「えーと、私はオレンジカウンティーで生まれたけど、実際にそこで生活したことないから。」と答えると、男性はさらに「いや、その前だよ」「ええっ、生まれる前はどこにいたかですって?!」「いや、きみたち(Your people)がどこから来たのか聞いているんだよ。」「えっと、私の曽祖父たちはソウルから来たけど」「韓国人だね、やっぱりねー!いや、日本人か韓国人だと思ったんだよ!」そして、会話はその後アジア人女性が白人男性に同じ質問を切り返していく方向に進みます。私はそのビデオを見ていて、激しく納得しました。やっぱり、これはアジア系アメリカ人の間ではよくある光景で、それを彼らは大変ウザく感じていることがよく伝わってきました。これは、アジア人がよく遭遇するそこはかとない人種差別のひとつの例です。向こうは決して差別発言をしているつもりはないのですが、受け取る方としては、自分たち(白人)だって移民してきたのに、なぜ私たち(アジア人)は何世代アメリカに住んでも外国人扱いなのか!と憤るわけです。


ノルウェーももちろん基本的に白人が大多数を占めている国です。しかし、非ヨーロッパ系の移民も増え、新世代の人たちは、他のノルウェー人のようにノルウェーで生まれ育ち、ノルウェーの学校に通って育ったはずです。それでも、外見が違うために、アジア系アメリカ人が受けているようなそこはかとない差別を受けていると思います。その思いを強くしたのは、先日私が教えているクラスの学生(修士)と話していたとき、私は彼の名前を尋ねました。彼は「僕の名前はトバイアスで、いや、それはもちろんすごくノルウェーっぽい名前なんだけど、それはなんでかっていうと、僕の両親はもともとはヴェトナム出身で、ノルウェーに移民してきて、僕はノルウェーで生まれたからであって、僕の母国語はノルウェー語で、僕はずっとノルウェーで暮らしてきたからなんだ。」いや、私はただ君の名前がききたかっただけなんですけど・・・。でも、そうまくしたてずにはいられなかった彼も気持ちも分かります。アジア系の外見を持つ彼は、名前を言った後に続くであろうと想定される会話を先に終わらせてしまっていたのです。つまり、それが彼の自己紹介での会話のパターンであり、それが分かっているので、最初から全部言ってしまっているのです。そういえば、ノルウェーで会った他のアジア系の人たちも、同じように、「あ、私は小さいころに韓国から養子にもらわれてきたの」とか、なぜアジア人である自分がノルウェーに住んでノルウェー語を喋っているのか、こちらが聞かなくても説明をします。それは、どうせ聞かれるのだから、もう最初に言って終わらせてしまおう、という彼らの戦術です。しかし、このような戦術は他の移民ではあまりきかれません。アジア人の移民のみです。それとも、私もアジア人だから、彼らは私には説明せずにはいられないのでしょうか。

前にも言ったように、私は自分は本当に外国人なので、出身国をきかれてもなんとも思いませんが、ヨーロッパや北アメリカに住むアジア人は、たとえその地で生まれたのであっても、この「最初は外国人扱い」を受けているのではないかと思います。私はこのことを思って、初対面の人は「外国人ではない」という前提で話をするようにしています。

しかし、例えば非アジア人で日本に住む人は、やっぱり同じような扱いを受けていることと思います。また、日本にすむ非アジア人とのハーフの人たちは、たとえ日本で他の日本人と一緒に生まれ育ったのであろうと、その非アジア人的な顔立ちから、「英語が話せて当然」というレッテルを貼られて困る、という話を耳にした覚えがあります。どこの国でもそういった思い込みはあるのでしょう。そして、悪意はなくても、その思い込みのよって相手の気持ちを傷つけてしまうことも。

ところで、私は人生の半分以上を外国で過ごした者ですが、このごろ母国である日本で外国人扱いされるようになってしまいました。英語の喋れるスタッフのいるようなお店では英語で話しかけられ、タクシーの運転手さんには「お客さん日本語がお上手ですね~。」などど褒められる始末。複雑な心境です。

2 件のコメント:

  1. 初めまして。とても興味深く拝見致しました。アジア系ノルウェー人のくだり…私も、同僚に同じ自己紹介をされてとても「あるある。」と思いながら、面白く読ませて頂きました!

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    1. コメントありがとうございます。アジア人のノルウェーでの立ち位置はすこし微妙なかんじがしますよね。

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