2014/08/13

「女性の活躍できる社会」

せめて一ヶ月に一度はブログを更新するようにしよう、と思ってからはや半年。何かを続けるということは、大変なことなのだな、という実感を胸に、これからもぼちぼち続けていきたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。

さて、例年どおり7月の一ヶ月日本で過ごしました。一番の目的は娘たちに日本を体験してもらうことですが、私もできるだけ日本の社会についての情報収集をするように心がけています。そして今回、「もっと女性が活躍できる社会に」という話題をいたるところで目にしました。私も本当にそうなって欲しいと思っているのですが、どうやら現実はなかなか(というか、やっぱり)難しいようです。これは、単に「もっと女性を雇えばいい」とか「女性を昇進させればいい」という問題ではありません。もっと根本的に日本の社会構造に関わる問題だからです。そして、日本の社会構造は恐ろしいほど「男女の役割分担」を国民に押し付けているように思うのです。つまり、夫は外で働き、妻は家を守る、という役割分担です。

時代錯誤と思う方もいるかもしれませんが、そう考える若者は日本でもアメリカでも増えているようです。それが合理的である、という考え方もあります。経済学的に見て、比較優位で考えれば、得意な分野に特化した方が効率がよい、ということです。つまり、女性の方が家事・育児が上手であり、男性の方が労働市場で高い収入を得られるならば、男性は市場労働に特化して女性は家事・育児に特化するのが一番効率がよい、ということになります。役割分担自体は、決してそれ自体責められるべきものではないのです。しかし、なぜ男性の方が高収入を得やすいのか。それが、例えば女性は出産・育児でキャリアにギャップができる、もしくはキャリアがストップしてしまう、とか、女性ということで責任ある仕事を任せてもらえないから、という理由であった場合、それは女性が家事・育児に特化せざるを得ない状況を放置しているわけで、比較優位とか役割特化では片付かないと思います。

また、家庭の役割分担自体は性別に関係ない、つまり妻の方が高収入を得られる場合、夫が家事・育児に特化するのが合理的です。実際そうしている家庭もあると思いますが、それは少数で、実はそういう家庭であるほど、妻が家事・育児を担っているという研究結果も報告されています。これは、普通に経済理論で考えると不合理ですが、男のプライドとか、妻の「女らしさ」といった要素を加えると、説明がつくのです(興味のある方は経済学初心者でも読めるアカロフとクラントンのIdentity Economics(リンク)をお勧めします(英語))。つまり、本来夫が家族を養う(少なくとも一番稼いでいる)べきはずが、妻が一番の稼ぎ頭になってしまった場合、夫は男としてのプライドを傷つけられ、また、妻は「女は養ってもらうもの」という「女らしさ」を失うわけです。それを補うために、妻は他の「女らしい」行動である「家事・育児」を行って、夫のプライドと妻の女らしさを保とうとする。これにより、高収入の妻ほど家事・育児もする、という結果になってしまいます。そして、こんな疲弊する生活やってられない、と仕事をやめてしまう妻や、離婚してしまう夫婦が続出することになります。これらは、決して社会的にみて最適な結果であるとはいえないはずです。

また、労働市場は競争です。そして、日本では特に、労働時間で会社へのコミットメントを測るようです。そこで家事・育児を負っている女性に、後ろに専業主婦が控えていて主に仕事のことだけ考えていればいい男性と競争しろ(もしくは競争して勝て)と言うのは、ハナから無理というものです。土俵が違いすぎる。女性だって、別に特別扱いして欲しいわけではないと思うのです。ただ、公平に勝負できる土俵を提供してくれ、と訴えているのではないでしょうか。