2013/09/23

統計のちから

夏に日本に帰っている間は新潟の実家にいるのであまり東京に行く機会はないのですが、京都に出張した帰りに、東京で久しぶりにシアトルの大学時代の友人に会いました。彼女は大学時代は建築を勉強していて、その後NYの建築事務所で働いたり、日本で建築の仕事をしたりしていたのですが、何年か前から東大の大学院で修士の勉強をしていました。東日本大震災のときには、ボランティアで現地に駆けつけ、その後も被災地に関する活動をしていたようです。そして、先日久しぶりに会ったときに、今はそのまま東大で博士課程に進んだのだ、ということを知りました。被災者と建築に関する研究をしているということで、今は論文のデータを集めたりしているようでした。その話をしたときの彼女の言葉が、私には大変印象的だったのです。

私は大学では経済学と統計学を学んだのですが、私にとって、統計学との出会いはある意味革新的でした。それまで、数学が大の苦手だと思って敬遠してきたのに、数学とも縁の深い統計学にハマってしまったのは大変な驚きであると同時に、統計学は私に新しい世界の見方を指し示してくれたのです。そして、統計学を勉強したことで、私は「データから情報を得る」という作業をその後もずっと続けることとなり、現在にいたっているわけです。私の仕事は大雑把にとらえれば、数字の羅列であるデータから、経済学的に興味のある事象を経済理論に基づいて分析し、数字の奥に隠れている、経済主体(消費者とか)の意思決定のメカニズムやその社会的な意味を探っていく、というものなのです。そういう意味で、統計は私にとっては大変に馴染み深いものとなりました。

そして、前述の、久しぶりに会った大学時代の友人は「ユウコが大学時代に統計を勉強していたとき、正直「なんでそんなもの勉強してるんだろう」って不思議に思ってたけど、今博士論文を書くにあたって、初めて統計の大切さがわかった」と言うのです。数学苦手のアート系だった彼女からそんな言葉を聞く日がくるなんて夢にも思わなかったので、私はひどく驚き、軽い感動すら覚えました。

2013/09/17

途切れ途切れですいません

気が付いたらもう9月も半ば。そして、振り返ってみれば、前回の更新は、あれ、5月!?

5月から今まで、いったい何をしていたかといえば、子供の夏休みとそれに伴うロジスティックス、そして新学期、と、なんだかあれよあれよという間に時間が過ぎていってしまいました。この夏はなにをしていたかといえば、子供の学校が6月半ばから8月半ばまでお休みなので、毎年のことですが、日本に一ヶ月ほど帰っていました。その間仕事も全部休み、というわけにもいかないので、仕事も日本に持ち帰り。授業はないので、研究関連や論文執筆、新学期のクラスの準備、などになりますが、別に大学のオフィスにいなければできない仕事、というわけではないのと、だいたいノルウェーでは7月なんて誰も職場にいないので、特に罪悪感を感じることもありません。夫はノルウェーに残っていたのですが、「今日もオフィスで誰にも会わなかった。」なんて言っていたくらいです。こんな調子なので、ノルウェーは社会全体が7月は仮死状態。仕事で誰かにメールを送ってなにかを頼んでも、すぐに返事が返ってくるなんて期待できません。役場だって、人が出払って少人数で対応しているので、なにかと時間がかかります。ノルウェーの人はもうこんな状態に慣れっこなので、「7月は物事が進展する期待をしない」という心構えがなっていますし、大事な事柄(バケーションに出る前にパスポートを申請しておくなど)は7月前に済ませておくわけです。

そうして、8月になるとぼちぼちと職場にも人が戻ってくるようですが、私たちは8月の頭から2週間トルコにバケーションに行っていたので、私はまるまる一ヵ月半オフィスからはなれていたことになります。私などは、日本から戻ってきた時点でちょこっとでも仕事をさせて!という気持ちだっだのですが、夫が「娘たちにとって、日本滞在はバケーションであると同時に学校に行ったり幼稚園に行ったりして、充分な休息であるとは言い難い、よって、家族で本当の意味でのバケーションに行く必要がある」と主張するので、なんだか半強制的にバケーションすることに。私はノートパソコン持参で、トルコのホテルでちょこちょこと遠慮がちに仕事をしていました。とはいえ、毎日飽きるほどプールで泳いだり、ビーチに行ったりして、全員すっかり日焼けしてノルウェーに帰って来ました。