2012/04/30

博士課程ディフェンス


異様に忙しかった一週間が終わりました。アメリカ人の同僚が帰ったのと入れ替わりに、ノルウェーの大学でリサーチをしている日本人の若い研究者の人が来ていたのです。それに加えて、ノルウェー人の同僚の博士号のディフェンスがあり、さらに娘のバレエの発表会などもあって、本当に忙しかった!書き所盛りだくさんの一週間でしたが、とりあえず今日は博士号のディフェンスの話をしたいと思います。

学校や学部によって様々ですが、博士課程終了時に「ディフェンス」をするのは珍しいことではありません。ディフェンス(防衛)というのは、自分の研究について発表し、それに対してオポーネント(敵)がいろいろ質問し、またその質問に答えて自分の研究をディフェンド(防御)する、という一連の学術的なやりとりのことです。このディフェンスの形式も様々で、私が前に働いていたコロラドでは、ディフェンスは内部でのみ行われていました。つまり、オポーネントも出席者も学部内の人に限られていました。しかし、ノルウェーではこれが外部にも開かれています。オポーネントは二人いるのですが、二人とも学部外から招聘されます。内部で行われるディフェンスの場合、内部でのみ通用するような基準で評価がなされる危険性がありますが、外部評価の場合、国際基準で判定されるということです。また、誰でも出席できるので、学部外の人はもちろん、家族や友人まで来るので、緊張感も倍増です。そういう意味で、ノルウェーのディフェンスはかなりフォーマルです。

さて、ノルウェー人の同僚で、1月からポスドクを始めたばかりの女性がいます。彼女はもともと栄養士として働いていとのですが、博士を取ることに決めて、10歳から12歳くらいの子供の健康な食事習慣について研究していましたが、とうとう先日ディフェンスをしたのです。オポーネントは、その分野では国際的にも名の通っているベルギー人の女性研究者と、同じくその分野でいろいろ論文も出しているノルウェー人の男性研究者のふたり。名前は知っていても、特に面識はないそうで、一体どんな質問をされるのか、全くわかりません。彼女はもう一ヶ月も前から準備して、ずっと緊張しまくっていました。

当日、まずは「トライアル レクチャー」といわれるものから始まります。トライアルレクチャーは、2週間前に与えられた題について、1時間レクチャーするというものです。題は自分の研究内容に関連したものが与えられるようですが、それを一般の人にも分かるように、分かりやすくレクチャーすることになっています。会場のレクチャーホールは、50人ほどの人が彼女のレクチャーをきいていました。学部の人も沢山来ていますが、彼女の家族や友人らしき人たちの姿も見えます。彼女は落ち着いた様子でレクチャーを始め、内容もわかりやすくまとめてあり、とてもよくできたレクチャーでした。このレクチャーのあと、オポーネントと学部内の代表からなるコミティー(委員会?)が、今のレクチャーは博士号取得に値するかどうか審議します。それもかねて、昼食休憩が取られました。

右に立っているのが同僚。左はオポーネント。

2012/04/24

放課後アクティビティー

月曜日と火曜日。この2日間私たちはちょっとばたばたしています。なぜかというと、上の娘のダンスのレッスンがあるからです。月曜日は6時15分からバレエのレッスンです。そのまま行ったら少し早すぎるので、いったん家に帰って、大急ぎでご飯を食べ、夫か私どちらかが上の娘を連れてスタジオへ。しかもけっもう離れた所にあるので、車で片道20分くらいかかります。火曜日はダンスのレッスンが5時からなので、4時に娘たちを迎えに行って、そのままスタジオへ。下の娘は上の娘のレッスンが終わるのを待っていなければいないので、DVDなどを持参して、暇つぶしができるようにします。

さらに、今週からそこにサッカーの練習が加わりました。上の娘が学校のサッカークラブに参加することになったからです。なので、月曜日はサッカーとバレエ両方の準備をしておかないといけません。

子供の放課後のアクティビティーで走り回る親は私たちだけではもちろんありません。ほとんどの子供がなにかしらのアクティビティーに参加しているようです。近くであるなら勝手に行って帰ってきてくれるのかもしれませんが(近所の子供たちはそうしているようです)、遠い場合はやはり親が送り迎えしなければです。また、アクティビティーによっては(サッカーなど)、週末の度に、今日はどこそこで試合、などど、あちこちに遠征しているようで、親は大変です。

ポピュラーな習い事は、バレエ、ダンス、水泳、サッカー、体操、などのスポーツ系と、ピアノ、ヴァイオリン、演劇、などの芸術系でしょうか。空手やテコンドーなどの武術系も人気です。地域のカルチャースクールでいろいろなクラスを取ることもできますが、なかなか空きがなかったりするので、プライベートのレッスンに行くのも一般的です。娘達のいとこの女の子達(12歳と9歳)はバトンとハンドボールをやっていて、バトンの方は地区大会で入賞するほどの腕前です。

ところで、夫は娘にテニスの英才教育を受けさせたいと思った時期があったのですが、それはノルウェーに引っ越した時点で無理となりました。なぜかというと、カリフォルニアのようにタダでいつでも使えるテニスコートがあまりないのです。また天気も悪いので、いつも練習しようと思ったら高い会費を払ってテニスクラブのメンバーになり、高い使用料を払ってテニスコートを使うことになります。アンドレ・アガシは子供の頃から毎日何千球だかのボールを打ち込んでいたそうですが、そんなことをしていたらえらい出費です。まあ、そんな小さいことを気にしていたら、天才なんて育てられないのでしょうが。

2012/04/22

「縁」って不思議

若い頃はあまり「縁」などどいうものについて考えていませんでしたが、年を取るにつれ(!)、「縁」って面白いな、と思うようになりました。なにしろ、私の人生、様々な縁によって今まできたような気がします。その時々の、周りの人のちょっとした一言でぽろっと人生が変わってゆくにつれて、「出会い」って大切だなあ、とつくづく思うのです。

まず、高校時代、留学したいと思っていたときに、それまで会ったこともなかった、カナダに住んでいてイギリス人と結婚していた遠い親戚のおばさんに会うことができ、彼女の、「アメリカの大学に行きたかったら、生半可に語学留学などせず、まずは日本でTOEFL(留学生用の英語のテスト)の点数を上げることが先決」という言葉を胸にTOEFLなど英語テスト専門の学校に10ヶ月通い、おかげでTOEFLの点数だけ見たらアメリカの大学院に入学できるレベルまで上がりました。

大学選びでは、いくつか受かった大学の中で、「ワシントン大学がいいよ!シアトルは素晴らしいところだ!」と言ったのは、シアトル出身の英語学校の先生。あまり深く考えずに「そっか」とワシントン大学に行くことにしたのですが、確かにシアトルはとっても住みやすく、大学もよい学校でした。始めての海外旅行が大学留学、という、今思えばかなり無茶な行動ですが、特に問題も無く、周りの人に助けられながらなんとか生活も軌道にのっていったのも、様々な「縁」に支えられていたのだなぁ、と思います。

そして大学4年のとき取った環境経済のクラスが面白く、そのまま環境経済を勉強しに大学院に行きたい、と思っていたとき、その環境経済のクラスを教えていた教授が、「それだったら経済学部ではなく農業資源経済学部に行くといいよ。特にいい大学はカリフォルニア大学のバークレーとデイビスかな」と教えてくれ、早速願書を提出しようと思ったら、バークレーの願書締め切りはとっくに過ぎていたので、デイビスに願書を出したところ、統計学の学位を取っていたのが功を奏して奨学金付きで入学決定!そして、同じ年に入学してクラスメートだったのが今の夫。そして、彼と気が会った原因のひとつは、彼もデイビスに来る前はシアトルに住んでいたことと、そして、シアトルに住んでいた人らしく、彼も私と同じエスプレッソ好きであったことです。それがきっかけとなって結婚までしちゃったわけですから、それを思えば、シアトルからデイビスという選択が、私のその先の人生に大きく影響したわけです。

2012/04/19

数学食べず嫌い?

大学では経済学、特に計量経済学を教えている私ですが、計量経済学というのは経済学の問題を分析するために発展した統計学のことです。統計学はもちろん数学をたくさん使います。自分が今そのような学問を大学院生に教えている、という事実を鑑みると、私はまったく驚いてしまいます。なぜなら、私は小学校から高校を卒業するまで、数学が得意であったためしがないのです。得意だった教科は英語、国語、社会などで、理科はそこそこ、そして数学はいつもぱっとしない成績でした。なので、高校では迷うことなく文系のコースを選び、できるだけ数学から離れるように努力していました。微分・積分なんて、一体将来どんな役に立つというのか、と半ば怒りながら数学の授業を取っていたものでした。特に、私は国際公務員になるのが夢で、開発学を勉強したいと思っていたので、数学なんて人生に必要ないわ、と思っていたのです。

それが、どこをどうやって今に至ったのか。きっかけはやはり留学したことです。アメリカの大学で、アメリカ人に混じって勉強する。たとえ日本では英語が得意であったとしても、それまでの人生英語のみで生きてきたアメリカ人と比べたらそんなものは全く役にたちません。そして、忘れもしない、始めて取った国際関係論の授業で、いきなり必須の本が7冊。レポート5本。日本語でも大変なのに、英語でなんて、今まで英語の本を一冊読みきったこともない私には、どう考えてもムリ。結局そのクラスを取るのも、国際関係学を勉強するのも諦めました。

そこで、私は考えました。どうやったらアメリカ人と対等に渡り合えるのか。英語ではどう考えても勝ち目はない。そこで思い至ったのが、数学。数字の言語は万国共通。数学だったらなんとかなるかも。これは、今思い返せば、私の人生を180度変えることになった思いつきでした。日本にいたときは苦手だった数学ですが、そうはいっても数学のレベルの高い(はずの)日本の高校を出たのだから、その辺のアメリカ人よりはできるだろう。そう思って、数学のクラスを取り始めたのです。そうしたら案の定、大学の数学のクラスで、日本の高校、下手したら中学レベルの問題が出てくるではないですか。なので、問題さえ理解できれば、解くのは楽勝!そうやって数学のクラスを取って行く中で出会ったのが統計学です。そして、標準分布の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった私は、そのまま統計学の学位を取ることにして、ついでに経済学の学位も取っちゃいました。そうして現在の私につながっていくわけです。

2012/04/18

ノルウェーでテイクアウト

ノルウェーの物価が高いのは、ノルウェーに住んでいなくても、一日過ごしてみれば充分感じていただけることですが、住んでいる者として、やはり頻繁に外食できないのはツライところです。仕事から帰ってきて、「ああ、今日はご飯作るのめんどくさい」という日があるのは必然です。そんなとき、手軽に、安くて美味しい物をテイクアウトできたらどんなにラクなことでしょう。ノルウェーではそのような物は存在しないので、今ある選択肢の中から選ぶしかありませんが、そんなとき私たちが選ぶのはどのようなものかといいますと・・・

1.チャイニーズ。中国人てすごい、と思うのは、どんなに小さい町にもたいがい一軒は中華料理のレストランがあるということ。アメリカでもそうでしたが、それはノルウェーでも同じ。ただし、味はか・な・り・ノルウェー人の口に合うように直してあるので、思ったものと違う物が出てくることもしばしば。また、ご飯が食べられない、もしくは食べたくない人(そんな人がいるのですよ)のために、ポテトがオーダーできることと、また、中華料理が食べられない人、もしくは食べたくない人(でも付き合いで来てる人)用に中華料理以外のもの、例えばステーキなど、をオーダーできることが、ヘンとはいえノルウェーっぽいです。どちらかというと安い部類に入り、ランチスペシャルなどは1000円前後で食べられます(ノルウェーでは一番安くてこんな値段)。私は中華料理にはどうしても中国茶が飲みたくなるのですが、今までのところ、お茶を注文しても、出てくるのはトワイニングばかり・・・。

2.タイ。意外にも、ノルウェーで食べるタイ料理は美味しい!他の国の料理がノルウェー版になっているのに対し、タイ料理はもう少し本場の味を残しているのではないかと思います(タイ人はそうは思わないかもしれませんが)。多分これは、ノルウェー人がタイに頻繁にバケーションで行くので、本場の味を知っている人が沢山いるため、というのと、タイからの移民がけっこういるから、ではないかというのが私たちの予想です。タイ料理の食材も、日本食に比べてかなり手に入りやすい。すごく辛いのが好みの人は「タイスパイシーで」とお願いしないと、ただ「スパイシー」だけだと、ややマイルドなノルウェー人向けスパイシーにされてしまいますのでご注意。

3.インディアン。私はもともとそんなにインディアンが大好き!というほどでもないのですが、最近美味しいインディアンのレストランを見つけたので、行くようになりました。ロンドンはインディアンが美味しいという定評ですが、私たちの行くインディアンのレストランはロンドンで美味しいといわれていたものに引けを取らない味だと思いました。でも、値段はちょっと高め。

4.ローカルフードのレストラン。何軒か地元の食材にこだわったレストランやカフェがあるのですが、そういうところはシンプルなサンドイッチなどがけっこう美味しいです。また、スタヴァンゲルの近くにヤーレン、と呼ばれるノルウェーでも有数の農業地帯が広がっていて、おいしいお肉が有名です(この近辺でだけでしょうか?)。なのでヤーレンのお肉を使ったバーガーなどもけっこう美味しいです。だからといって、神戸牛みたいなものを想像するとがっかりすることになりますが。

2012/04/16

共働きプロフェッショナル夫婦の悩み

大学院のクラスメートで、アメリカの大学で准教授をしているアメリカ人の友人夫婦がいます。普段そんなに緊密に連絡を取っているわけでもないですが、フェイスブック経由で、奥さんがワシントンDCの政府系の研究機関で働くことにした、というのを知りました。去年スタヴァンゲルに家族で訪ねてきてくれたときに職探しをしている旨をきいていたので、とうとうか、と思ったわけですが、旦那さんの方は今DC近辺で職探しをしている、ときいて、少し意外に思いました。

この夫婦は二人ともテニュアトラックの准教授のポジションについていたのですが、旦那さんの方が最近テニュアを取った、つまりその職場で永久就職の地位を獲得してアシスタントからアソシエートプロフェッサーに昇進したばかりでした(アメリカのテニュアシステムについては、「なぜノルウェーに住んでいるんですか?」参照)。なので、その永久就職の口を蹴ってDCに行くとは、ずいぶん思い切った決断をしたものだ、と思ったのです。

でも、今の職場で、奥さんはけっこう大変な苦労をしていました。それほど詳しくは知らないのですが、教えている学生との関係がうまくいないことが何度か続いて、ティーチングの評価があまりよくなかったようです。さらに、それを改善しようにも、学部内の他の教授たちが全く助ける気がなかったようで、こんなに私のことを評価してくれない所で働くのはまっぴらごめん、もう限界、というところまできていたところに、そのDCの機関から「お願い、是非ウチに来て!」と彼女にラブコールが送られてきたようです。待遇も現在に比べて格段にアップ。彼女がそっちに移りたい気持ちもとてもよくわかります。

しかし、彼女の場合、自分一人のことを考えていればいいわけではありません。旦那さんと子供二人。そして、旦那さんの方は永久就職が決まったばかり。さらに、旦那さんには子供たちに、自然の中でのびのび育って欲しい、という願いがあるようですが、DCに越したら自然のなかでのびのび、という具合にはいなかいでしょう。うーん、難しい!

2012/04/14

アートの心を育てるのは?

私も夫も特にアートに通じでいるとか、アートの心得があるとかでは全くないのですが、それでも子供たちを美術館などに連れて行ったりして、アートに親しむ努力をしてはいます。とはいえ、キュレータの方々のように、その作品の歴史的な背景を知っているわけでもないので、連れて行っても作品を一緒になんとなく眺めた後、クラフトルームでお絵かきをしたりする程度です。

しかし、先日ロンドンでナショナルギャラリーを訪れた際、6歳の娘と娘の友達は丸々三時間ほど入りびたりで、その広い敷地の全ての展示室を回ったのでした。ナショナルギャラリーを訪れたことのある方はご存知と思いますが、なにしろ何十室も展示室があり、大人でも全部回るのは大変です。ひとつひとつの作品を丁寧に見ていたら一日あっても足りないような展示です。夫などは全部の部屋を回りきる前にもう疲れて、やはり疲れて眠ってしまった下の娘とその辺のイスに座って待っていたほどです。

なぜ娘達が(すぐに飽きちゃうだろう、という予想に反して)そんなに夢中でギャラリーを見て回っていたかというと、一緒に行った娘の友達のママがとても上手に子供たちの興味を引き出していたからです。まず新しい展示室に入ると、彼女は子供たちにその中で一番好きな絵を選ばせます。そして、みんなでその絵の前に立つと、「一歩、二歩」と展示のロープからさらに2歩下がらせ、そこに座り込みます。そして、「この絵の中に何が見える?」「これは何をしているところ?」と、その絵について子供たちに話をさせるのです。そうすると子供たちは我先に「これは散歩しているところ」とか、「りんごが見える」とか、その絵の中にいろいろ発見するわけです。また、有名は絵では、「この絵はね、絵の鏡の中に、この絵の中の人たちのリフレクションが写っているので有名なんだよ。あなたたちにはそのリフレクションが見えるかな?ちょっと見てごらん」という具合に、うまくその絵の特徴を盛り込んで解説してくれます。

さらに、「この絵はね、描いている人が自分自身を描いた絵なんだよ。そういう絵を肖像画、というの。あなたたちも、お家に帰ったら鏡を見ながら自分の顔を描いてみようか?」という感じに、子供たちが自分でもできるアクティビティーにつなげていきます。私は「うまいな~」と、すっかり感心して彼女のガイドっぷりを見ていました。

2012/04/11

女性の生き方

今日本から修士の学生さんがフィールドワークに来ています。彼女は、私が去年日本でノルウェーに関するセミナーをしたときに来てくださったときにお会いして、ノルウェーでフィールドワークをしたいということで、そのお手伝いをする約束をしたのです。彼女は日本とノルウェーの女性の生き方、もっといえば、女性の様々なライスステージでの就業の選択と、社会保障システムの関連に興味があり、私の働くスタヴァンゲル大学の学生を対象にアンケートを取りたいとのことでした。

たしかに、ノルウェーの女性は、「家庭か仕事か」「子供かキャリアか」みたいな選択を迫られる必要がありません。「家庭も仕事も」というのが普通だからです。比較的短い労働時間、認められている病欠の権利(子供や家族が病気のときももちろん使えます)、消化するのが当然の有給休暇、そしてもちろん、充実した産休・育休のシステム。また、父親も育休を取らなければならない「パパ・クオータ」のシステムで(「ノルウェーの産休・育休」参照)育休中の男女格差も是正する努力がなされています。職場での男女差別はタブー、それどころか、様々な女性優遇の制度もあります。

また、ノルウェーでは、女性も働くのが当たり前、という社会通念があります。ノルウェーでも昔は男性が外で働き、女性が家と子供の世話、という図式がありましたが、それは今はオールドファッションであると思われています。もちろん、今でも専業主婦という人たちはいますが、どうやらいくつかのパターンに分かれるようです。ひとつのパターンは、夫が社会的地位が高く、高所得であるが、その分仕事の拘束時間が長いので、奥さんが家庭を担当する、というケース。もうひとつは、どちらかというと低学歴、低収入であり、よりコンサバティブな夫婦である場合、昔どおりの、男は外、女は内、という図式を維持しているタイプ。あとは、奥さんが移民で、なかなか思うような仕事がみつからない、というケースもあるようです。もちろん、全部の専業主婦がそのパターンに当てはまるわけではありませんが、「専業主婦」というのは、ノルウェーではある意味正当化するのが必要な肩書きであるようです。ノルウェーでは、結婚していても、子供がいても働くのが当たり前なので、「専業主婦です」と言うと、「なんで?」という質問が返ってくるからです。

2012/04/10

ノルウェーVSイギリス

先日訪れたロンドンでお世話になった知り合い一家は、お父さんもお母さんも石油関連の会社で働いています。スタヴァンゲルはノルウェーの石油基地なので、石油関連の会社で働く人はたくさんいます。石油関連と一口に言っても、エンジニアからファイナンス、HR(ヒューマンリソース)とたくさんの仕事があるわけですが、専門職の人たちの中には転勤族もいます。この人たちは、2、3年毎などに一度転勤があり、いろいろな国を渡り歩きます。娘の学校にもそういう親御さんの子供たちがたくさんきているので、やけに出入りが激しいです。転勤は、会社から出向を命じられて行く場合と、本人が希望する場合とあるようです。

知人一家の場合は、会社からそういう話がきて、そのときちょうど第二子を妊娠中だった奥さんは、ロンドン赴任と産休を合わせることにして、娘さんもまだ学校に上がる前、ということで、ちょうどいいタイミングであると判断してロンドン赴任を決めたようです。

そして、1年半。このままロンドンに滞在することも、仕事上は可能であるけれど、この一家はノルウェーに戻ってくることにしました。なぜ素敵なロンドン生活を捨ててスタヴァンゲルに戻ってくることにしたのか、もちろん突っ込んで質問させてもらいました。

ひとつは、労働のスタイルの違いです。イギリスはどうやら、ノルウェーよりもかなり労働時間が長いようです。朝7時に出勤して夕方5時、6時まで仕事。通勤に小一時間かかるので、朝はやくに家を出て、夜帰宅。これは、日本人にしたら普通、もしくはいい方かもしれませんが、ノルウェーの労働スタイルに慣れた人にとってはツライことでしょう。なにしろ、ノルウェーは朝8時から夕方4時ごろまでが普通の労働時間。スタヴァンゲルなら、通勤も長くて20~30分くらいなのではないでしょうか(しかも自家用車で通勤が普通)。イギリススタイルだと、子供と過ごす時間もほどんどありませんが、ノルウェーだと家族揃って夕食を食べ、宿題を見てあげたりする時間も十分あります。

そして、物価高。ノルウェーはかなり物価が高いですし、家も小さな街のわりに割高ですが、やはり世界有数の都市ロンドンの住居費はかなり高いようです。彼らは南西地区にある住宅に住んでいましたが、やたらに縦に伸びた住宅で、全部で7層!地下、キッチン(1階)、リビング(2階)、ベッドルーム1とバスルーム(3階)、ベッドルーム2と3(4階)、バスルームとベッドルーム4(5階)、そしてロフト(6階)、という造りです。なので、面積的にはけっこう広いですが、それが横でなく縦に伸びているわけです。ロンドンでは典型的な住宅であると言っていました。この住宅は会社の斡旋で住んでいるのですが、このままロンドンに滞在するとなると、自分で住宅を購入しないといけなくなります。そして、現在と同じような条件の住宅となると、1.5億円(!)くらいするんだとか。それでも、彼らによると、そこはミドルからアッパーミドルクラスの人の住む住宅だそうで、決してお金持ちの住む地域ではないということです。

2012/04/09

ロンドン訪問

イースターのお休みにロンドンの知人のところに家族で遊びに行ってきました。夫は随分前にも行ったことがあったそうですが、私と娘達にとっては初ロンドンです。スタヴァンゲルからはガトウイックまで直行便が出ているので、ほんの一時間半ほどでイギリスに着いてしまいます。ガトウイックからは特急列車がロンドンのビクトリアステーションまででていて、30分でロンドンの中心に着きます。アメリカや日本には行っても、あまりヨーロッパ内を旅行したことのない私は、その近さにびっくりです。

駅まで知人が車で迎えに来てくれることになっていたのですが、代わりにタクシーで迎えに行く、とのこと。どうしたのかと思ったら、なんとガソリン運輸関係の労働者のストにより、ガソリンスタンドでガソリンが品切れ!ガソリンを入れてから迎えに行こうと思っていた知人はタクシーで来る羽目になったのでした。

私たちが訪ねたのは、上の娘のもとクラスメートのお宅。お父さんがノルウェー人、お母さんがメキシコ人、という組み合わせ。娘さんは、うちの娘たちと同じスタヴァンゲルの英国学校に通っていたのですが、1年半ほど前にお父さんの仕事の関係でロンドンに引っ越したのです。でも、この夏またスタヴァンゲルに戻ってくるということで、仲のよかったうちの娘ともう一度「コネクト」してもらって、引越しがよりスムーズにいくようにしたい、ということで、私たち一家をロンドンに招待してくれたのです。お母さんは、私たちが遊びに行く随分前から、ロンドンで何をしたい?あんなことやこんなことができるよ、というなが~いリストを送ってくれていたのですが、滞在日数は少なく(正味4日ほど)、また、小さい子供づれなので、あまりムリせずに、できる範囲で楽しもう、ということにしました。ただ、娘がバレエを見たいというので、下の子も楽しめる「My First Sleeping Beauty」という子供向けのバレエのチケットを取ってもらいました。

そして、初日。とりあえずロンドンの中心街に行くことにしました。ロンドンブリッジの歌をうたいながらロンドンブリッジを渡ったり、観光バスに乗って雨に降られたり、バッキンガム宮殿に行ったりして、ロンドンに来たんだ、という実感を堪能。二日目は、子供たちと父親組は公園へ、私たち母親組は買い物♪ ロンドンでのショッピングはスタヴァンゲルとは比べ物にならない楽しさです。そして三日目はバレエの公演に行って、その後ナショナルギャラリーに。カルチャーに浸った一日でした。そして最終日はサイエンスミュージアムへ行って、美味しいベトナム料理を食べに行っておしまい、と。随分充実した4日間でしたが、ロンドンを見るには全く日数が足りませんでした。ウエストミンスターにも、大英博物館にも、ロンドンアイにも行かずじまいでちょっと残念でしたが、ま、近いんだしまた来よう、ということに。ロンドンを案内してくれた知人一家にも感謝です。

観光バスから見たビッグベン
バッキンガム宮殿は外から見るだけで、中には入れないんですね。

バッキンガム宮殿の衛兵は若くてびっくり。高校生のバイトかと思うほどでした。

2012/04/01

もうすぐイースター

そう、イースター(復活祭)の時期です。ノルウェーはもちろんキリスト教国なので、イースターをお祝いします。とはいえ、私も夫もクリスチャンではないので、イースターといわれても「ふーん、そう。」くらいなもので、せいぜいイースターバニーと色とりどりのタマゴ、が連想されるくらいでしょうか。なので、自分でなにか実践してお祝いをした経験はないのですが、子供も大きくなってきて「イースターって何?」などどきかれるので、夫が昔習った、そこはかとない記憶をたぐりよせて説明してくれました。それによると、今日、日曜日はパームサンデー、イエスがエルサレムにやって来た日、そして、来週の木曜日がホーリーサーズデーで最後の晩餐、金曜日がグッドフライデーでイエスが十字架貼り付けになって亡くなった日、そしてイースターサンデーに復活した、というふうに、キリスト教の方にとってはとても重要な意味を持つイベントです。

しかし、北欧に住む者にとって、イースターはまた、春の訪れを意味します。なが~い、暗~い冬が終わって、やっと明るい春がやって来た!という嬉しい時期です。このうきうき感は、北欧の冬を体験した人でないと分かってもらえない感覚ではないかと思います。そして、昨日などは、珍しく気持ちよく晴れた日で、もう気分は春!しかし、油断は禁物でした。あまりの天気のよさに、靴下ナシのフラットシューズ、コートはなしでカーディガン、といういでたちで出かけたら、晴れてはいても寒い!また、今日起きたら外は雨。春はいったい何処へ行ってしまったの?

しかし、日がどんどん長くなっているのは、確実に感じられます。朝起きたとき明るい!そして夜は8時でもまだ明るい!これがこのままもっともっと長くなって、「もういいかげん沈んでくれないかしら」と思ってしまうほど日が長くなるのが北欧の夏です。極端なのは、極端に北に住んでいるのだから仕方がないのでしょうか。また、日本だと、春といえば桜ですが、こちらは黄色い水仙の花が春の象徴のようです。水仙とひよこの鮮やかな黄色がショーウインドーを飾ります。また、新学期は8月半ばに始まるので、日本のような、新しい門出、という位置づけもありません。