2012/03/31

ノルウェー人もオカルト好き?

先日仕事関係のディナーに行ってきました。一緒に仕事をしているトロムソの人が来ていたので、ノルウェー人の同僚ふたりと4人でディナーに行ったのです。その席で、お化けの話になりました。なぜそんな話題になったのかというと、同僚の奥さんがこのところ気分が優れないので、自宅にヒーラー(治癒能力のある(と思われている)人)に来て貰って治療をしてもらったところ、あまりよくないゴーストがいるみたいだから、一度窓をあけてキャンドルを灯し、ゴーストに出て行ってもらうといい、という助言を受けたそうです。

同僚曰く、そのヒーラーは、だからといってお祓いするから代金はいくら、とかいう感じではなく、ただ好意として助言してくれたようなので、もともと怖がりな奥さんは、本当にお化けがいるのかもしれない、と、かなり心配になってしまったそうです。なので、ちょっと物音がすると、ゴーストかもしれない、と神経質になってしまって、それでちょっと奥さんの具合がよくない、という話でした。別の同僚は「そんなに心配なら、助言に従ってお祓いしたらいいんじゃないの?」と言いますが、多分お祓いまでしてしまうと、ゴーストがいることを認めてしまうことになるので、そっちの世界の扉を開けてしまうようで、それはそれで怖いのではないかと思われます。

基本的に怖がりの私にはあまり好ましい話題ではありませんでしたが、そんなことはおかまいなしで会話は続きます。トロムソから来ている仕事仲間は、お母様が霊感が強いそうで、自宅の近くで行われている工事をゴーストが止めようとしている、というのを感じているのだとか。なんでも、工事が進められようとすると、必ずなにか起こって(例えば重機が動かないとか)全然進まないそう。また、随分古い家に住んでいるお友達は、なにかとゴーストにイダズラをされるそうで、一人暮らしなのに、シャワーを浴びていたらすごく重い家具がバスルームのドアの外に動かされていて、バスルームから出られなくなったり、夜中に音がしたりするそうな。きゃー、やめて!

2012/03/29

北欧ミステリー

私は昔からミステリーが大好きで、よく読んでいるのですが、ノルウェーの人もミステリーが大好きです。そして、ノルウェーでは、なぜか復活祭はミステリー、と決まっていて、本屋さんでも大々的にキャンペーンが張られたり、テレビでもミステリーのドラマを放送したりします。もうすぐ復活祭なので、ミステリー熱も自然盛り上がるというものです。

私が北欧のミステリーにはまったのは、たぶん10年近く前にスウェーデンのヘニング・マンケルのワランダーシリーズを読み始めてからでしょうか。夫(当時は彼氏)が「この本面白いよ」と勧めてきれたのがきっかけです。カート・ワランダー(中年~高年)はスウェーデンの地方都市の刑事(警部?)なのですが、彼は連続殺人の犯人を追いかけてただでさえ大変なのに、私生活でも奥さんや娘、自分の父親との関係に悩んだり、運動不足で体重が増えたり、お酒を飲みすぎたりと、ぜんぜんかっこよくない主人公です。でも、その人間くさくて不器用で、普通の人と同じように悩みを抱えながら、殺人犯を追いかけるという暗くて難しい仕事と自分の生活をなんとか両立させようともがいているところが魅力です。ワランダーを読んでいると、理想的な家庭を持つ、「ミッドサマー マーダーズ(イギリスのテレビドラマ、知らない方、すいません)」のバーナビー警部がずいぶんうそ臭く感じるほどです。

今読んでいるのは、やはりスウェーデンの作家、カミラ・ラッケルバーグのシリーズです。これは、スウェーデンのリゾート地を舞台に、作家のエリカと刑事のパトリックのカップルが事件を追いかけるシリーズです。一作目からさっそく面白く、立て続けに読んで今3冊目を読み始めたところです。これは、女性作家が書いているだけあって、マンケルよりも女性目線で書かれていて、主人公のエリカ(三十台後半~)が自分のキャリアに悩んだり、妊娠中体重が随分増えたり、マタニティーブルーになったりと、共感が持てます。また、DV(ドメスティックバイオレンス)などの問題も取り上げられていています。でも、一冊目では大活躍だったエリカが2冊目ではあまり活躍してなかったので、ちょっと残念です。今後はもっと活躍してくれるのでしょうか。ところで、本の裏表紙に写真が載っているカミラさんが、またとっても美人で、なんだか「ボーンズ」(アメリカのテレビドラマです。またまた、知らない方、すいません)に出てくるブレナン博士を彷彿させます。

もちろん、この他にも北欧のミステリー作家はたくさんいて、ノルウェーのヨー・ネスボのシリーズはマーティン・スコセッシ監督で映画化されるとか。誰が主人公のハリーを演じるのか、もしかしてディカプリオか、と話題になっていましたが、その後どうなったんでしょうか。

2012/03/27

テネリフェ報告


適度な日焼けとともに、バケーションから帰って参りました。テネリフェは天気もよく、毎日25度くらいでちょうど過ごしやすい気候でした。プールの水温も30度近く、とかなり暖かく、プールサイドのイスに寝そべって、体が太陽の光で熱くなったらプールで冷まし、また寝そべる、という怠惰な時間を満喫しました。子供たちもたくさんプールに入り、たくさんアイスを食べました。こういった時間の過ごし方は、天気の悪いノルウェー(またはスカンジナビア全般)に住んでいる者には大変貴重です。実際、私たちが泊まっていたスカンジナビア系のリゾートホテルは、平日だというのに、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、そしてフィンランドから来た人たちでいっぱいでした。スカンジナビアの長くて暗い冬を乗り切るには、こういったバケーションが必要なようです。

ホテルから徒歩1分のビーチ
ビーチに続く道

ホテルのプールサイドはスカンジナビアから太陽を求めて来た人たちでいっぱい

私たちが泊まっていたホテルは、「ファミリーフレンドリー」なホテルで、小さい子供連れの家族(または、プラスおじいちゃん、おばあちゃん)がほとんどでした。なにが特別かというと、小さい子供が遊べる施設が充実していることです。プールも赤ちゃんや幼児も入れるかなり浅いプールから深めのプールまで何種類も揃っていて、また、遊び場やクラフトルームなどもプールの近くにあります。しかし、子供たちにとって最大の楽しみは、キャラクターたちではないでしょうか。実はそのホテルを選んだ理由は、うちの子供たち(特に下の娘)がそのホテルのキャラクター、ロロ(きりん)とバーニー(くま)が大好きだからです。子供たちは出発前から、ロロとバーニーに会うのを楽しみにしていました。

2012/03/16

バケーションへ、ゴー!

日曜日から1週間バケーションに行って参ります。場所はスペイン領カナリー諸島の中のテネリフェという島。暖かく、ビーチも美しいこの島には沢山のスカンジナビア人がバケーションに訪れます。私たちもおととしのクリスマス前にテネリフェに行ってなかなか良かったので、また今回もテネリフェにしたのですが、前回とはちがう街に滞在します。

祝日でもないのに一週間まるまる休むわけですが、仕事の面では別に問題ありません。確かに、仕事にキリをつけるのに今週少しがんばって働きましたが、基本的にフレキシブルな仕事なので、学部長に一応一週間休みます、と報告したくらいです。ただ、今残っている仕事は、帰ってきてもそのままの状態で残っていて、他の人が変わりにやってくれるわけではないのがフレキシブルな仕事のツラいところでしょうか。娘達も学校や幼稚園を休んで行くので、そっちの方が書類を提出してバケーションを申請したりして大変だったくらいです。

テネリフェで何をするかというと、「ゆっくり」します。リゾートホテルにはいくつもプールがあり、ビーチも徒歩でいける距離です。もちろんレストランもホテルに入っているので、私たちは食事つきのプランをオーダーしました。なので、朝起きて朝食を食べに行って、プールで遊んで、お昼ご飯を食べて、もっとプールで遊んだり、ビーチサイドで昼寝したり、散歩に行ったりしたあと晩御飯を食べて、ホテルの中で催されるショーなど見たりして、部屋に戻って、就寝。朝ゆっくり起きて、朝ごはんを食べて、とこの繰り返し。もちろん街に散歩に行ったりもしますが、基本的にホテル周辺でのんびりします。観光スポットなど、ほとんど行きません。

2012/03/14

共通の経験という強み

先日は懐かしいアニメの話がでましたが(ピッピとゴレンジャー参照)、やはり子供の頃の思い出というものは、ソフトスポットというか、ついつい微笑んでしまう話題ですね。私が外国に住んで少し淋しいと思うのは、こういった子供時代や多感な時代の経験が共有できにくい、ということです。例えば、普通に日本で高校に行っていた人が、「ビバリーヒルズ高校白書」とか、もっと最近でいえば「グリー」とかみたいな、アメリカの高校生活を描いたドラマ(あまり普通の高校ではないにせよ)を見たとき、「へー、そうなんだ」とは思っても、あまり心から共感はしないのではないでしょうか。多少共通の要素はあっても、やはりあまりに世界が違いすぎる。

日本人でも外国人でも、共通項が多いほうが友達になりやすいのは同じです。そして、その共通項が現在進行形であった場合(例えば職場が同じとか、趣味が同じとか、子供が同じ学校に通っているとか)そのぶん今現在共有できる話題も多いですから、親しくなりやすいわけです。しかし、日本人同士で盛り上がる、子供時代や中・高校時代の話題の中で「そうそう!」と言えるあの感覚は、他ではなかなか経験できないものです。それは、今現在や近しい過去に関する「そうそう」と比べて何倍も濃い「そうそう」であるように感じるのは私だけでしょうか。

もしかしたら、単に私が外国に長く暮らしているせいで、そういう感覚の「そうそう」をあまり味わっていない、というだけの話かもしれませんが、私が思うに、子供時代や多感な時代というのは、社会に対してボノラブル、何というか、剥き出しの状態ではないでしょうか。例えば、子供の親への愛情というのは、駆け引きとかのない、とても剥き出しの、直球の愛情ですよね。子供たちはこの、後先、裏表のない直球の感情で世界に向き合っていると思うのです。そして、そんな剥き出しの状態で経験する世界というのは、大人になってからのコントロールされた現実とちがって、かなり直球でその人の中に入って行くのではないでしょうか。そして、その分、その次元で共有できる「そうそう」は、とても濃いものなのではないか、と思うのです。

2012/03/12

ピッピとゴレンジャー

今下の娘が大好きなのが、ピッピ。そうです、あの、長靴下の。ピッピといえばスウェーデンの作家、アストリッド・リンドグレーンの児童文学の名作ですが、ノルウェーでも子供達に人気で、みんな知っています。おもちゃ屋さんに行っても、小さいながらピッピのコーナーがあります。

こんなに北欧の人たちに愛されているピッピですが、私はピッピが北欧出身とは、ノルウェーに来るまで知りませんでした。ピッピについても、小さい頃から知っているわけではなく、多分小学校高学年くらいのときに本を読んだような気がしますが、そのころは、「外国(特にヨーロッパ)」とひとくくりになっていたので、イギリスだろうがアルプスの少女だろうが、あまり国として意識せずに読んでいたと思います。あんなに遠い国の話だと思っていたのに、それが、今その舞台になっている国ではなくとも、その近くに住んでいると思うと、ちょっと驚きです。

娘はピッピの実写版のテレビシリーズも見ていますが、これは夫も子供の頃同じものを見たそうです。なんと、1969年の製作だそうです。40年以上前のテレビドラマを今も放送しているなんて!私は娘がピッピのテレビを見ているときあまり注意を払って見ていなかったのですが、DVDを買ったので一緒に見るようになったら、確かに、これがとてもよくできているのです。私は原作を全部読んでいないので、どの程度原作に忠実なのかは分かりませんが、少なくとも絵本のイラストとドラマの感じはとても似ていて、登場人物もそっくりです。ピッピのペットの猿や馬までそっくり。そして、子役の子達がまた、とっても上手。さすが、40年以上の歳月に耐えうるクオリティーなのだと感心しました。また、私から見ると、一見していかにも古そうな映像に、いまどきの子供達がこんな古臭そうな番組を見るのかな、と思ったのですが、娘達も含めてみんなピッピは好きなようなので、子供からみたら、そんなに古臭そうに見えないのでしょうか。最近の3Dの映画やシュレックも見るけど、ピッピも好き、という組み合わせは、一貫性に欠けるように思うのですが、子供はそんなこと気にしないようです。

ピッピの家の前で。肝心のピッピは現在行方不明中。

2012/03/11

原発のコストとベネフィット

日本人にとっては忘れることのできない日からもう一年になるのですね。私はもちろんノルウェーにいて直接に体験していないのですが、それでも家族の安否を心配したことや、津波の写真を見たときの衝撃、そしてその後の原発の危うい状態など、今思い出しても心臓がどきどきします。

また、私は実家が小千谷市、中越沖地震の震源地だったところです。そのときはアメリカにいたので、やはり直接の被害は受けておらず、アメリカではらはらしていたわけですが、毎日ネットで現在のインフラの状況などを確認して、ガスはまだ直ってない、とか、水道はどうか、とかチェックしていました。ガスも水道もない状態でいったいどんなふうに生活しているのかと心配していましたが、家族の元気そうな声に、こちらがびっくりしたほどです。なので、震災で被害を受けた方々に対しては、他人事とも思えないものがあります。そして、もちろん原発。私の実家は柏崎の原発から半径30キロ圏内です。もしなにかあったら、確実に大変な影響を受ける地域です。ですから、原発に関しても他人事とは思えません。

震災後の夏に日本に帰ったとき、新聞の記事に「このまま原発を維持した場合と代替エネルギーを使った場合のコストの比較」というのが新聞に載っていて、詳しい数字は覚えていませんが、原発に比べて代替エネルギーは何倍も高く見積もられていて、大変びっくりしました。何にびっくりしたかというと、その計算は、現在の原発への国からの補助や、なにか事故があったときのリスクなど、さまざまな要素が計算から抜けていて、原発に有利になるように作ってあるようにしか思えない結果だったからです。

コスト・ベネフィット アナリシス というものがありますが、何かを選択するときに、選択肢に関する利害をちゃんと計って、それを比べてから決めよう、というものです。この場合、利害は金銭的なものに限りません。例えば、大きなダムを作るとき、まわりの自然環境が受けるダメージや、また、ダムの建設によって失われるレクリエーション(ハイキングや川辺での釣りなど)の機会なども勘定に入れなければいけません。原発の場合にも、稼動のコストだけでなく、何か起こってしまった場合のコスト、そして、「何か起こってしまったらどうしよう」とはらはらする地域住民や国民のストレスも勘定に入れるべきです。いえ、冗談でなく。「原発が誤作動するかもしれない、大変な事態になってしまうかもしれない、という心配をしなくて済むならば、自分なら月に電気代500円余分に払ってもいい」と思っていたら、それは立派に「原発を回避することへのベネフィット」であり、原発のコスト・ベネフィット アナリシスに入って然るべきです。

2012/03/08

子供の生命

ちょっと(かなり?)暗い話題かもしれませんので、朝読んでる方は夜まで待った方がいいかもしれません。


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先日、お葬式に行ってきました。亡くなったのは、夫のいとこ夫婦の赤ちゃん。

妊娠初期の時点で、赤ちゃんの心臓にかなり深刻な問題があることが分かっていました。それでも彼らはその赤ちゃんを産むことに決めたのです。赤ちゃんが生まれたら、すぐに集中治療室に入れられるように、いとこ夫婦はオスロの病院に入っていましたが、予定日より一ヶ月以上早く生まれて来てしまい、もともと心臓に欠陥があるのに加えて未熟児。生まれて間もないのに、何度も大きな手術を受けていました。体にたくさんのチューブを着けられてガラスの箱のなかに横たわる赤ちゃんの姿は写真で見るのも痛ましいものでした。この、直接会ったことのない赤ちゃんは、しかし、一ヶ月ほどで、その短い生涯を終えたのでした。

平日のお昼から行われたお葬式に50人ほどの人が集まり、その赤ちゃんにお別れを言ったわけですが、皆さすがに暗い表情です。目頭にハンカチを当てる人もたくさんいます。赤ちゃんの両親とおばあさん(夫のおばさん)も、泣き叫んだりしないでじっと悲しみに耐えている感じが痛々しいです。子供の死というのは、こんなにも人々を暗い、いたたまれない気持ちにさせるのだと実感します。

お葬式に出る前、職場で「今日これからお葬式に行くの。」と同僚に言うと、もちろん「誰の?」とききます。私は正直に「ゴーム(夫)のいとこの赤ちゃんが亡くなったの」と伝えると、それが知らない子でも、みんな、かなりいたたまれない気持ちになるようです。子供のいる人はなおさらです。

赤ちゃんはオスロで生まれてオスロで亡くなったので、お葬式に集まった人たちも、ほとんどがその赤ちゃんに会ったこともないはずです。それでも、小さい棺おけや、その中に横たわる赤ちゃんのことを思うと、とても悲しい気持ちになります。

2012/03/06

様々な英語

ノルウェーに住んでいながらほぼ英語で生活している私ですが、アメリカ生活が長かったため、私の英語はバリバリのアメリカ英語です。だからと言って、「ヨ~、ワッズアップ!」なんて喋っているわけではありませんが、発音や言い回しなど、やはりアメリカ色が濃いです。だからなのか、私にとってイギリス英語は理解するのが難しいです。娘達は英国学校に通っているので、先生方は英国人も多いのですが、会話していて、何度か聞き返さないといけなかったりします。また、単語も違うことが多々あり、例えば、日本でいうベビーカーは、アメリカ英語だとストローラーといいますが、これがイギリス英語だとプラム。オムツもアメリカ英語だとダイパーですが、イギリス英語だとナッピー。先生に「明日ナッピーを持ってきてくださいね」と言われて、一体なんのことかと思ったものです。

しかし、まだイギリス英語は難しいなりにも理解できます。でも、これがスコットランド英語になったりすると、もう何を言っているんだか本当に分からなくなってしまいます。「これが本当に同じ英語?」と思うほどです。お疑いでしたら、ぜひスコットランド映画を見てみてください。アメリカ英語に慣れている人は、字幕なしには理解するのは難しいと思いますよ。

理解しづらいイギリス英語ですが、実はちょっと憧れています。やはり、アメリカ英語に比べて格調高い感じがします。私も学校でイギリス英語を習いたかったな~、と思ってしまいますが、アメリカ軍の占領下にあったのだから、学校で勉強するのがアメリカ英語だったのは仕方ないのでしょうか。ノルウェーの学校ではイギリス英語を勉強するのだそうです。しかし、人によってはっきりアメリカ英語だったり、イギリス英語だったりするのはなぜなのでしょう。単にアメリカに行ったことのある人はアメリカ英語になって戻ってくるのでしょうか。

2012/03/05

国際結婚 私のケース

国際結婚、といわれると、妙に構えた感じにきこえるのは私だけでしょうか。実際に国際結婚している人は、「別に国際結婚をしたわけではなくて、単に結婚した相手が日本人でなかっただけ」みたいに思っている人は多いのでは。私もそのひとりです。しかも、ずーっとアメリカにいたのに、なぜわざわざノルウェー人と結婚してしまったのか、自分でもナゾですが、からっとしたアメリカ人の中で少しカゲのあるヨーロピアンな雰囲気が新鮮だったのでしょうか。もちろん、彼にしても、ずっとアメリカに住んでいたのに、なぜわざわざ日本人の嫁をもらってしまったのかと思っているのかもしれません。ま、お互い様ですね。

私たちは基本的に英語でコミュニケートします。夫は特に日本に興味があったとか日本語を勉強していたとかでは全く無いので、日本語は話せません。そのくせに、「日本語はカンタン、カンタン。ただ英語の言葉を変な言い方で言えばいいんだ」と言い放ち「スプーヌ(スプーンのこと?)」とか「ワイヌ(ワイン?)」とか訳の分からない単語を連発しています。あの、日本語が全部外来語なわけじゃないんですけど。

また、私のノルウェー語の勉強(移民には必須)も時間の無駄だと思っていて、たいして協力してくれないので(ノルウェー語を勉強する時間があるなら、もっとスペイン語とか、役に立つ言語を習得した方がよい、という意見)、私のノルウェー語は上達せず、結局英語が唯一の共通の言語となります。

英語のみで会話しなければいけない、というのは、確かに日本語が母国語の私にはめんどくさい、と思うこともありますが、お互いに第二外国語で話をするのは、実はいいことなのではないか、とも思います。自分の言語だとついすらすらと出てくる為に言い過ぎてしまうことがあっても、英語だと言わないですませられる、ような気がする。これは、夫の両親にも同じことが言えるのではないかと思います。私は、義理の両親とは良好な関係を保っていると思うのですが、もちろん彼らがとても気持ちのよい、いい人たちであることも大きいですが、母国語だとついつい言ってしまう余計な一言を英語だと言わないですませられるため、お互い嫌な気持ちにならなくてすむ、という面もあるように思うのです。

2012/03/04

うるう日にプロポーズ?

同僚がふたり婚約したとききました。とはいっても、そんなにドラマチックな展開ではなく、もともとサンボーエン(日本では事実婚というのでしょうか?英語で言うドメスティックパートナー)で、もうずーっと一緒に住んで子供もいるカップルの話です。それがなぜいまさら婚約なのかというと、先日はうるう日、4年に一度しかこない日ですが、この日は女性からプロポーズしていいことになっているそうです。というわけで、同僚の女性は彼女のパートナーに、同僚の男性はそのパートナーからプロポーズされたそうです。

なぜそんなしきたりになったのかはナゾですが、こんな話はアメリカではきいたことがないので、ノルウェーの、もしくはヨーロッパの習慣なのでしょうか。プロポーズした女性は相手に承諾されれば問題ないですが、もし答えが「ノー」であった場合、リングをしていない指の恥を隠すため、手袋を12枚重ねてはめないといけないそうです。そのようなしきたりがあるのはびっくりですが、それがノルウェーで今でも健在、というのもびっくりです。私はいまどきのノルウェーの女性はそんなしきたりにとらわれず、プロポーズしたかったらするものと思っていたからです。けれど、もう長く実質夫婦として暮らしているようなカップルには、そういうイベントっぽいノリが必要なのかもしれません。同僚の女性は、私が「おめでとう」と言ったら、きょとん、とした顔で、「何の話?」と訊くので、「え、婚約したってきいたけど」と答えると、「ああ、でも私たちもう前から何回もプロポーズし合ってるの。でも、まだ結婚するに至っていないんだけど」とのことでした。一体どういうことなのか、未だに理解できません。

2012/03/01

身長のハンデ

私は背が低いです。150センチしかありません。日本でも昔から列の先頭でした。七夕の度に「背が高くなりますように」とお願いしたのに、結局叶わないままでした。そんな私がアメリカに渡ったとき、実はそこまで身長を意識しませんでした。もちろんアメリカでもチビでしたが、周りに背の低い人もたくさんいたからです。特にアジア人やヒスパニック系の人は(個人差もありますが)わりと小さい人もたくさんいました。また、大学院ではなぜか周りの日本人女子も背の低い人が多く、身長の低さと留学の間には何か相関関係があるのでは、と真面目に考えたほどです。

さて、夫は185センチです。日本やアメリカでは高いですが、ノルウェーではわりと普通です。ちょっとウェブで調べたら、ノルウェー人男性、女性の平均身長はそれぞれ179.9センチと167.2センチだそうです(ちなみに日本は171.2センチと158.8センチ)。ノルウェー男性は平均でほぼ180センチ、つまりこれを中心に標準分布しているわけです。なので、日本ではあまり見かけない190センチ台の人もけっこういます。女性だって平均で私より20センチも背が高いのです。そしてこの背高集団のなかに、ひとり150センチのわたしが混じっているわけです。背が高い人たち何人かと会話するとき、自分の頭の上で会話が行われているような感覚で少し会話に加わりにくいです。子供がぴょんぴょんジャンプをして大人の会話に入りたがっているみたいで、それが私の居心地を悪くさせるのでしょうか。この国では小学生だって私より背が高いのです。